バッド・バニーが語る、音楽・俳優業・プロレス・政治「自分が何者なのかを世界に示す」
Rolling Stone Japan / 2025年2月4日 20時0分
これまでのキャリアで「最も誇れる作品」と自負するニューアルバムを放ったラテン・スター、バッド・バニー。母国プエルトリコで暮らす人々の代弁者となる覚悟を明かす。
【画像を見る】米ローリングストーン誌に掲載されたバッド・バニー
バッド・バニーともなると、エレベーターを使うのにも慎重になる必要がある。乗り合わせた誰かに認識される可能性があるからだ。世界で最も再生されているラテンアーティストである以上、彼がどこかで熱狂的なファンやミーハーなリスナー、あるいは興奮した観光客などに出くわす可能性は非常に高い。彼自身は気にしていないが、プエルトリコが生んだスーパースターがA地点からB地点に移動することは面倒な事態を引き起こしかねない。
だからこそ、クリスマスの2日後の凍えるような寒い朝、ニューヨークにある本誌編集部へと向かうエレベーターの中で、バッド・バニーは壁側を向いて立っていた。シンプルな錫色のスウェットスーツに全身を包み、さらに慎重を期して、パーカーの紐をきつく締めており、わずかにおでこの一部だけが見えるだけという状態た。その姿は歴史を塗り替えたセレブ中のセレブというよりも、『パンズ・ラビリンス』に登場する顔のない生き物のように見える。背を向けて沈黙を保つ身長6フィートの人物を7人前後のクルーが取り囲んでいるという光景は、誰の目にも滑稽に映るに違いない。幸いにも、エレベーターは止まることなく上昇していく。
10階に到着すると、ベニート・アントニオ・マルティネス・オカシオはフードを下ろした。髭を蓄えた彼は、少し伸びた髪を揺らしながらオフィス内を歩き回り、最近の本誌バックナンバーを手に取る。彼が見ているのは、2024年10月号のチャペル・ローンの特集だ。映画の撮影現場でヘアドレッサーに教えてもらって以来、彼はこの注目のポップスターにハマっているという。「彼女にはレディー・ガガやラナ(・デル・レイ)、シーアに通じる部分があるよね」と彼は言う。「すごくクールだ」。次に手に取ったのは、コールドプレイのクリス・マーティンが表紙を飾った2025年1月号だ。「彼を見るといつもイルカを思い出すんだけど、(肩から下が水に浸かった)この写真は俺とローリングストーンのセンスの近さを証明してるね」と言って彼は笑う。
彼は自分が表紙になっているもの(初登場となった2021年6月号と、2023年6月号)には興味がないようだ。彼がリクエストしたのは、2022年の夏に出たミーガン・ジー・スタリオンが表紙のものや、シャキーラが表紙を飾った90年代のバックナンバーだ。
インタビューの場ではやや口数が少ないことで知られる彼だが、この日はテンションが高めで、話したいことが山ほどある様子だった。その一部は、映画出演や活動家としての取り組みを理由に国内を飛び回り、多忙極まりなかった昨年のことについてだったはずだ。だがそれ以上にベニートが語りたかったのは、過去数か月間にわたるスタジオ作業を経て完成させた最新作『DeBÍ TiRAR MáS FOToS』のことだ。彼は本作について、マルチプラチナを記録した過去のどの作品よりも誇りに思っているという。
あらゆる対象により深く向き合ったことで、彼は自分が本当にやりたいことに一歩近づいた。本作はプエルトリコをはじめとするカリブ海全域、そしてより広範なディアスポラに根ざしたフォークロアやルーツ音楽の伝統を基盤としたサウンドとアイデアの産物だ。サルサ、ボンバ、トリオなど、今作に見られる音楽的影響は、彼が世界的なスーパースターへと成長する前、つまりスーパーで袋詰めのアルバイトをしながらSoundCloudに曲を投稿していたティーンエイジャーだった頃に培われたものだ。このアルバムを作る過程で学んだことについて熱く語る彼は、まるで子供のように無邪気でだった。
「すごく楽しかったよ、楽しすぎてあっという間だった」と彼は話す。「だからこそ、俺はこれからも曲を書き続ける。リリースするかどうかは置いといてね。アイデアを共有したり、子供たちが音楽を演奏したり楽しんだりするのを見ていると、毎日こうあるべきだって思えるんだ。だから俺は、新しい曲を書くために毎日スタジオに行くんだ」
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『DeBÍ TiRAR MáS FOToS』のタイトルの由来
ー最後に会った時、あなたはロサンゼルスに住んでいました。ニューヨークとロスのどちらがより好みですか?
プエルトリコだね。
ーどちらかを選ばないといけないとしたら?
ニューヨークかな、プエルトリコにより近いからね。ロサンゼルスはすごく遠いと感じるんだ。いろんなものから距離を置きたいと思う時はちょうどいいんだけどね、ロスはまるで別世界だから。でも、もしどちらかに住めと言われたら、この街に残るよ。ただ、メキシコの文化はロサンゼルスの方が濃いよね。あの街でビリアの味を知ったんだけど、完全にハマっちゃってさ。ダラスで育ったメキシコ系とプエルトリコ系の家族が営んでいるビリアのお店がプエルトリコにあってさ、すごく美味しいんだ。
ー新作のタイトル『DeBÍ TiRAR MáS FOToS』(もっと写真を撮っておくべきだった)の由来は?
写真嫌いな俺の性格だよ(笑)。俺は写真を撮るっていう以外の方法でファンと繋がりたいから記念撮影をよく断るんだけど、それで俺が写真嫌いだって言われるようになってさ。でも、ふと思ったんだ。ファンと写真を撮ることは俺にとって日常茶飯事だけど、たまたま俺を見かけた人がその瞬間を写真に収めようとするのは、それが彼ら彼女らにとってはすごく特別なことだからなんじゃないかって。
でもそれ以上に、このタイトルは俺自身の実感に基づいてる。俺はどんなに楽しんでいる時でも、滅多に写真を撮らないから。俺は記憶力が良い方だけど、素晴らしかった日々のことを思い出せなくなる時は必ずくる。あの瞬間をもっと大切にしておけばよかった、そう思うこと自体に大きな意味があるんだ。それはつまり、喜びを感じる時は全身で感じて、その思い出を大切にするということなんだよ。
Photo by CHRISTOPHER GREGORY-RIVERA
SHIRT BY JW ANDERSON; CAP BY PRADA; CAMERA BY CANON
写真は歴史を刻む。今は誰でも気軽に写真を撮れるけれど、昔はもっと特別なものだったと思うんだ。俺の母はいつも写真を撮ってた。誕生日や何かしらのイベントがあると2枚くらい撮って、それを90歳になる叔母さんや、新しい赤ちゃんを連れて来る親戚のためにのために取っておくんだ。写真は特別な機会のためのものだったんだよ。現像した時なんて大騒ぎさ。家族全員が集まって、写真を回しながら「わあ、これ見て!」なんて言いながら、その瞬間を追体験するんだ。成長するにつれて、俺は母が写真を撮るのを煩わしく思うようになった。母さんは写真を撮るのが大好きだったから。でも、今となっては後悔してる。あの瞬間の写真があればよかったのに、って思ってばかりだから。大切なのは写真そのものよりも、素晴らしかった瞬間に対するノスタルジックな感情や感謝の気持ちなんだ。俺がこのアルバムで言いたかったのは、故郷から遠く離れて暮らすことではじめて物事の価値に気づき、より深く理解できるようになるということなんだよ。
ー数年前、あなたはピアニストで歌手のトミー・トーレスのアルバム『El Playlist de Anoche』の制作に携わりました。彼は以前、あなたのトラップやレゲトンの曲は、簡単にバラードやポップソングにアレンジできると言っていました。
俺は声や歌い方をあまり変えないように意識しているんだ、それが自分らしさだと思うから。いろんなスタイルで歌えるけど、リスナーには「これぞバッド・バニーだ」って思ってほしい。トミーと一緒に作った曲は、俺自身が歌ってもいい出来になっただろうけど、トミーの声の方がより魅力を引き出せるんだ。時代も要因のひとつだろうね。別の時代に生まれていたら、俺はもっと歌の練習をしてボーカルレッスンを受けていたかもしれない。俺のことをディスる年配の人もいるけど、俺は作曲家としても成功できたはずだと思ってる。傲慢になっているつもりはないよ、俺はどんな時代にも適応できる自信があるから。(新作に収録されたサルサの曲 「BAILE INoLVIDABLE」に)"新しい彼女はしゃぶるのがうまいけど、それはお前の口じゃない"っていうラインがあるんだけど、年配の人たちはきっと「あいつは彼はサルサを台無しにした!」って言うだろうね。でも、もしあのラインを入れなかったら、それは俺自身じゃなく誰かの真似になってしまう。もっと詩的な言葉を選ぶこともできたけど──まぁ、あの歌詞も俺が歌うと十分詩的に聞こえるけどね(笑)。いずれにせよ、どの時代に生まれていたとしても、俺は成功していたと思う。
ーサルサの曲を書いてみてどうでしたか?
あの曲を聴くたびに、俺が書いた中で最高の出来だって思うよ。ずっと頭の中にあった曲だから、夢が叶ったような気分さ。冒頭のシンセは(2022年のアルバム)『Un Verano Sin Ti』を作っていたときからあるんだけど、これはサルサの曲だと感じた。でも、あのアルバムにはすでにいろんな要素が詰まっていたから、しばらく寝かせておくことにしたんだ。完成させるまでには一年近くかかったよ。
ー制作の過程について教えてください。
一筋縄ではいかなかったよ。シンセのメロディ全体を「タン、タン、タン、タン」ってハミングでなぞってるボイスメモがあったんだけど、どうやって形にすべきか頭を悩ませていたんだ。サルサなんて作ったことなかったし、誰と組めばいいのかも分からなかった。いつもの作曲家には頼りたくなくて、新しい誰かを探すことにしたんだけど、まったくの偶然で、ある駆け出しのレゲトンのプロデューサーを見つけたんだ。音大を卒業したばかりの24歳で、アレンジを得意とするタイプ。友達のピノが、彼がブライアント・マイヤーズの「Narcotics」を面白半分でサルサにアレンジした動画を見つけたのがきっかけだった。ミーム扱いでみんな笑ってたけど、俺は「ミーム? いや、これヤバいぞ。むしろオリジナルよりいいじゃん」って思った。それでアルバムの制作を始めたときに、彼に声をかけることにしたんだ。おとなしくて、あまり口を聞かなかったけどね。すごく背が高いから、みんなからはビッグ・ジェイって呼ばれてる。
その時俺はニューヨークにいて、「ミュージシャンは揃ってるのか? 早く(プエルトリコに行って)作業を始めなきゃ、時間がないぞ」って焦ってた。いろんな人材をリストアップしてもらって、その中からピンとくる人を俺が選んでた。そんなときTikTokで、子どもたちのバンドでボンゴを叩きながら踊ってる14歳くらいの子を見つけてさ。「やばい、まるで若い頃のロベルト・ロエナみたいだ! この子を探してくれ!」って言ったんだけど、さすがに無理ですって言われてさ。それで(マネージャーの)ノア(・アサド)に電話したら、「まずはミュージカル・ディレクターを見つけた方がいい。有望そうなのがいるんだけど、多分君が前にTikTok動画を送ってきたやつだ」って言われてさ。「嘘だろ!?」って感じだった(笑)。その子は俺らが曲の制作を進めてる時に、19歳の誕生日を迎えたばかりだった。彼がミュージシャンを集めてくれたんだけど、それがBig Jayが推してたメンツと同じだったんだ。みんな知り合い同士だったんだよ。いざ曲作りを始めると、マジで最高の体験だった。19歳になったばかりのJulitoをはじめ、ほとんどのメンバーがプエルトリコのLa Escuela Libre de Música出身なんだ。トロンボーンとトランペットのプレーヤーたちもみんな20代だった。
ー『スクール・オブ・ロック』そのものですね。
まさに!
ーあなたにとって、優れたオールドスクールのレゲトンとはどういうものですか? 聴き返したくなるものは?
最近はヘクター&ティトをよく聴いてる。2002年の『A la Reconquista』とかね。レゲトンを世に広めたのは「Gasolina」とかかもしれないけど、俺は2002年から2003年頃のレゲトンが一番だと思ってる。ドン・オマールの『The Last Don』、テゴ・カルデロンとかね。でもやっぱりヘクター&ティトの『A la Reconquista』は外せないね。
ーヘクター&ティトは忘れ去られてしまった感がありますよね。
選択次第で人生は大きく変わるよね。超イケてる音楽を作ったウィリー・コロンがおかしくなっちゃったみたいにさ。2001年とか2002年はまさにレゲトンの黄金期だった。少なくとも俺にとってはそうだし、今でも聴くのはあの時代の曲だ。でも、聴きたい音楽って季節や気分にもよるんだよね。時々、俺が高校生だった2008年とか2010年の頃の曲を聴きたくなるし。
俳優業とプロレス、政治について
ーあなたは俳優業にも積極的に挑戦していて、これまでに『ブレット・トレイン』、『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』、ダーレン・アロノフスキーの『Caught Stealing』、それからアダム・サンドラーと共演した『Happy Gilmore 2』(公開前)の4本の映画に出演しています。やってみてどうでしたか?
ヤバかったね。めちゃくちゃ働いたよ、マジでやりすぎってくらい。1週間かけて『Caught Stealing』を撮影して、終わった直後に『Happy Gimore』の撮影が始まったんだ。撮り終えるまでに40日かかって、終わったらすぐにプエルトリコへ戻った。休みらしい休みは12月24日と25日だけだったよ。
ーその2本の映画は方向性が真逆ですよね。
(笑)そうなんだよ、これはこっちで、これはあっちって感じでさ(両方向を指さしながら)。でも、だからこそ楽しかったんだ。公開が待ち遠しいよ、きっとみんなを驚かせられると思う。控えているプロジェクトからして、今後はもっと映画作りに集中できるはずだよ。
ー俳優業に専念する可能性は?
演技はやるよ。音楽はずっと続けるけど、しばらく俳優業に専念して、演技に没頭するのもアリだなって思ってる。今回の2本の映画が公開されたら、俺が演技に本気で取り組んでるってことがみんなに伝わると思う。何しろ、内容がまるで違う2本の映画で、まったく違う役とキャラクターを演じてるんだ。見た目だって全然違う。一方の映画では髪を赤く染めてヒゲを剃ったし、もう一方では黒く染めた。両極端さ。『ブレット・トレイン』のときは、俺が登場した瞬間の世間の反応は「おっ、バッド・バニーが出てきた!」みたいな感じだった。スタジオでの制作の合間に軽いノリで映画に出た、っていう受け止められ方だったんじゃないかな。
ー『カサンドロ リング上のドラァグクイーン』では役になりきっていました。
確かにね。あの映画ではキャラクターにすごく感情移入できたと思う。Netflixで観られた『ブレット・トレイン』はブラッド・ピットが主役だったこともあって、俺の演技に注意を払った人は多くなかった。でも、『カサンドロ』はぜひみんなに見てほしいな。あの映画での俺は役になりきっているから。もう1本の方も同じで、俺はバッド・バニーではなく別のキャラクターを演じてる。映画を観てくれれば、それがきっと伝わるはずだよ。
ー演技のどういうところが好きですか? それはあなたのキャリアにおいてどういう位置付けなのでしょうか?
演技は子供の頃からずっと好きだった。俺が映画に出ることを母さんには知らせてなかったんだけど、伝えたときはすごく喜んでくれた。「本当に嬉しいわ。あなたは子供の頃から音楽が大好きだったけど、まさかアーティストになるなんて思ってもみなかった。私はあなたが俳優になると思ってたから。あの頃、私はみんなに『この子は俳優になるの』って言ってたのよ。歌手じゃなくてね。それが今こうして実現して、ものすごく嬉しいわ」って言ってくれた。母さんがそんな風に思ってたって知って驚いたよ。俺はすごく内気だったけど、演技はその頃からずっと好きだったんだ。
ー子供の頃シャイだったということは以前にも話していますよね。
そう、昔は好奇心をあまり表に出さなかったんだ。人前で歌うこともなかったし。学校で2回くらい歌ったことはあったけど、それだって怖くて仕方なかった。教会で何度か歌ったのを除けば、人前でパフォーマンスする機会なんてほとんどなかった。クラスの演劇に出たこともなかったし。でも、演じることは当時から好きだったよ。自分の部屋にいるときは、よく独りで演技をしてた。そういう時はいつも、何かしらのキャラクターになりきってた。
ー撮影現場でアダム・サンドラーとは意気投合しましたか?
そりゃあもう。アダム・サンドラーは俺の叔父みたいな存在さ。(ショートメールの受信箱を見せながら)ほら、「サンドラーおじさん」って登録されてるだろ。マジでいい人だよ。
ーまた一方で、あなたはWWE(※世界最大のプロレス団体)のイベントにも参加しています。2021年から何度か出演していますが、また出る予定はありますか?
もう一度やりたいね。リングの上で命を懸けて戦ってみたい。前回は覚悟が足りなかったと感じてるから、もっと本気でやってみたいんだ。母さんを怖がらせたいんだよ、いつになるかは分からないけど。WWEのチームとは連絡を取り合っているし、常に動向をチェックしてる。でも具体的な予定はまだ決まっていないよ。以前出演した時と同じように、しっかり準備できる時間があればいいんだけどね。次はもっと時間をかけて、ちゃんと体を作ってから臨みたいと思ってる。
音楽と同じで、俺は上達したいっていう向上心と、新しいことに挑戦するためにプロレスをやってる。時々、他のことは全部やめてプロレスに専念しようかと思うこともあるよ。今は有名人としてスポット参戦してる感じだけど、プロになって本物のヒールになりたい。俺はとにかく悪役が好きなんだ(笑)。昔からヒーローよりも悪役の方が好きだったんだよね。
ーWWEのイベント、Backlashをプエルトリコで開催してみてどうでしたか?
言わずもがな最高だったよ。何としてもWWEをプエルトリコに持っていきたかったんだ。実際、WWEにとってもあれは成功だったと思う。去年はフランスでBacklashが開催されたし、次はメキシコだ。プエルトリコでやってみて手応えを感じたんだよ。
ー有名になるにつれて、あなたの恋愛事情についての報道は増えています。失恋についての曲をリリースするたびに、ファンが「これは誰のことだろう?」と一字一句分析する状況についてどう感じていますか?
どうしようもないよね、そうなるのは分かってたし。正直なところ、特に気にしてないんだ。有名税ってやつだよ。俺が何かしら含みのある発言をするたびに、世間はその真意を探ろうとするから。まるで見当違いな時はもはや笑えるけどね。「一体どうしてそういう発想になるんだ?」って。まったく根拠のないデタラメが出回ることもあるよ。
これは俺個人の見解で前から言ってることだけど、誰かに曲を捧げることと、誰かにインスピレーションを受けて曲を書くことは別だと思う。自分が経験した物事にインスパイアされて曲を作るのはごく自然なことだ、実体験なんだから。そこにもうひとりの当事者がいる場合でも、俺にはそれを自由に表現する権利があると思ってる。何かを足したり、逆に削ったりすることもできる。でも、ある出来事について曲を書いたからといって、必ずしもそれを相手に捧げるわけじゃない。そこが違いなんだ。世間はその辺を勘違いしやすいし、実際の当事者が「これは私のための曲だ!」って受け止めることもある。でも違うんだよ。それは君についての曲だけど、君のための曲ではないんだ。と言いつつ、中には本当に誰かのための曲もあるんだけどさ(笑)。
ー有名になったことでソングライティングに変化はありましたか? 曲を書くときに、そういったことを意識しますか?
誓うよ、あまり意識しないんだ。たまに考えてしまって不安になることもあるけど、それが自分が書きたいことを制限したり、曲の中でありのままの自分を表現することを妨げたりはしない。作り話をするよりは、正直であった方がいいからね。
Photo by CHRISTOPHER GREGORY-RIVERA
GLASSES BY PRADA, SHOES BY DRIES VAN NOTEN.
ーあなたの曲の中には、ノスタルジーと悲しみに満ちたものもあります。
その通りだね。「こいつはメソメソしすぎだ!」ってディスる人もいるだろうね(笑)。(「TURiSTA」を書いた時は)プエルトリコにいて、オフィスを出てオーシャン・パークの周りをぐるぐる歩いてたんだけど、すごく悲しくて涙が出てきた。いろんな感情が自分の中で渦巻いてたんだ。
ーなぜ泣いたのですか? 何があったのでしょう?
(笑顔で)蚊に刺されたんだ。ビーチに通りかかった時、観光客がダンスレッスンを受けたり、バレーボールをしたり、夕日をバックに自撮りしてるのを見てハッとさせられたんだ。俺は車の中にいて、やたら悲しくて、外では誰もがすごく楽しそうにしてるのに、俺が悲しみながらそこを通り過ぎてくんだってことを誰も知らないって思うと、いてもたってもいられなくなった。よくあることだよ。今この瞬間も、この部屋にいる誰かがすごく悲しんでるかもしれないけど、誰もそれに気づいていない。だけど、あの時はものすごく衝撃を受けたんだ。その理由のひとつは、俺がプエルトリコの現状について考えていたからだと思う。素晴らしい夕日を見て、美しい写真を撮って、最高の時間を過ごしている彼らは、プエルトリコのいい面だけを見て満足して帰っていくんだ。この国で暮らす人たちが経験しているネガティブなことや、日常については知る由もない。それで俺は車を停めて、「俺の人生において、君はただの観光客だった」っていうコンセプトで曲を書き始めた。出会ってからの数カ月間、その人のいい部分だけを見て、不安や恐れ、悲しみやトラウマといった暗い面にはまるで触れることなく去っていく。そういう関係のことだよ。
ー11月のプエルトリコの知事選挙を前に、あなたはプエルトリコ新進歩党に抗議する目的でサンフアンの各地で看板の使用権を購入しました。また、第三党の独立支持派の候補者Juan Dalmauを支援する集会でも演説しました。あなたはこれまでも音楽を通じてプエルトリコについて語ってきましたが、選挙を前にこれまで以上に声を上げようと思ったのはなぜですか?
これまでも自分のペースで取り組んできたつもりだよ。でも、ムカつけばムカつくほど、より大声で叫びたくなる。俺はずっと自分を等身大の存在としてはっきり示してきたし、それは音楽に反映されてる。俺は血の通った人間で、30歳のプエルトリコ人だ。どんな立場であろうと、それが俺の本質であり、俺の音楽の核をなすものだ。俺は失恋についての曲も作るし、ペレオ(レゲトンのダンス)についての曲も作るし、社会問題についても歌う。どれも俺の人生の一部であり、それはきっとみんな同じだと思う。週末はいつも遊んでるわけじゃないし、月曜には仕事に行かなきゃいけない。俺は感じるままに表現しているだけだよ。パーティしたい気分なら、ケツやアソコについて歌うこともある。恋愛で辛い思いをしていれば、その気持ちを歌にする。何かに腹が立ったときは…… そういうことも当然あるさ。ただ、いつも文句ばかり言っているわけにはいかないし、プライベートな時間が怒りを鎮めてくれることもある。大切な人と一緒に過ごす間は、社会問題について考えずに済むこともあるから。俺はそうやってバランスを取っているんだ。
選挙は4年に一度だけど、4年ごとにしか口を開かないわけじゃない。必要なときには、いつだって声を上げてきた。メインストリームで圧倒的に支持されている俺がこういうことをはっきり言うのが意外だって思う人もいるみたいだけど、俺は言いたいことは迷わず口にする。それが俺を血の通った人間らしくしているんだ。成功してメインストリームに行ったアーティストはこういう話をしなくなるか、ものすごく慎重にしか語らなくなることが多いと思うけど、俺は違う。俺は言いたいことを言うし、気に入らないなら聴かなきゃいい。俺の音楽を聴くからって、俺の見解に同調しなくちゃいけないわけじゃないんだ。俺たちはみんなこの国で生きてる。何度も口にしてきたことだけど、政治家は人々を分断する機会を利用する。俺はそんなことをしたくないし、自分の考えを口にすることを決して恐れない。それが俺という人間だからね、カブロン(クソ野郎の意)。
ーDalmauの支援集会で演説した時、そういう場でのスピーチはステージで歌う以上に緊張すると発言していました。
俺は基本的にはシャイだからね。打ち解けた相手の前でははしゃぐんだけどさ。でも最初は人見知りするし、そういう話をするとなるとすごく緊張する。自分のコンサートではない環境だとなおさらね。自分のコンサート、自分のステージなら、俺は俺のやりたいようにやれるけど、それ以外の場で話すとなるとそうはいかない。乾杯の音頭とかもぎこちなくて、声を震わせながら「みんなに幸あれ……!」みたいになっちゃうんだよ。だからこういう個人的でシリアスなことを大勢の前で話すのは相当大変だと分かってた。一言一句漏らさず報じられるとわかっていたら、当然緊張もするよ。終わった後はすごく良い気分だったけどね。
ー前向きであり続けるために意識していることは? プエルトリコと米国の選挙は、多くの人が望んでいない結果となりました。
みんなもう慣れてると思う。選挙である以上、勝者がいる限り必ず敗者もいるわけだから。これが初めてじゃないし、新しいことでもない。ただ、今回はみんながかなり期待していただけに、その分ショックも大きかったんだと思う。でも、俺たちがそれでも毎日を生き、戦い、抵抗し、守るべきものを守り続けなきゃならないってことは、みんなよく知っているんだ。
最近ある人から、選挙前日と翌日にどんなメッセージを伝えるかって聞かれたんだけど、同じ内容だって答えた。状況は変わらないけど、そういう姿勢が社会を変える意識と力を生み出し続けるんだよ。
母国の伝統を世界と共有する理由
ーあなたはどんなステージでも、常にプエルトリコをレペゼンしてきました。例えば、2023年のグラミー賞ではボンバやプレーナのダンサーたちと一緒にステージに立ちました。自分たちの伝統を世界と共有することに、どういう思いを抱いていますか?
誇りに思うし、幸せな気持ちになるよ。すごくやりがいがある。俺は音楽を作ることが好きで、大勢の人に自分の曲を聴いてもらって、それで生計を立てることをずっと夢見てた。でも、心の底からそう願ってはいたけど、ここまでの成功を収められるとは思ってなかった。それでこう自問するようになったんだ、「次は何をすべきだろう?」って。自分が残した記録をさらに塗り替えようとか、誰かを打ち負かしてやろうなんて思わない。アルバムを出すたびに、『Un Verano Sin Ti』や『YHLQMDLG』を超えようなんて全然考えてないんだ。それよりも、俺は新しいものを作りたい。違う思い出、違う記録──過去の作品とは違うものをね。
それで考えるんだよ。俺はこれから何をしたいか? ここにいる意味は何か? このレベルにいる意味は? 何を得るのか? 俺はいずれ死ぬし、あっちの世界には何も持っていけない。なら、それが答えなんじゃないかって。自分がどんな人間で、どんな文化に触れ、どこで育ったのかを世界に示すこと。自分のことを少しだけ話して、俺が何者なのかを伝えて、プエルトリコ人としての俺をもっと知ってもらうこと。そして、このジャンルやアーティストたちをさらに高みへと押し上げること。彼らも俺と同じように、何も期待せず、ただ好きだからという理由で音楽を作り、自分のメッセージを誰かと共有しようとしてる。それが今の俺の役割だと思ってる。多くの人が知らないリズムや、俺みたいな若者の声を広める手助けをすることがね。
ーあなたは以前、常に先を見据えていて何枚分かのアルバムの計画を立てているとと話していました。実際に制作を始めると、それらのプロジェクトにはどのような変化が生じるのでしょうか?
やっぱり変わるよ。『Debí Tirar Más Fotos』は最初にざっくりしたアイデアがあったけど、結果的にはもっと良くなった思う。作品自体にパーソナリティとかエネルギー、流れが宿ったんだ。実を言うと、『Nadie Sabe Lo Que Va a Pasar Mañana』を作ってるときから、もう次のアルバムに取りかかりたくてウズウズしていた。別にあのアルバムが嫌いとかじゃないけど、自分にプレッシャーをかけて作った分、正直あまり楽しめなかった。ツアーをやりたいっていう気持ちもあまり湧かなくて、むしろ新しいをアルバム作りたいと思ってた。
Photo by CHRISTOPHER GREGORY-RIVERA
SWEATER BY COUTE DE LIBERTE. GLASSES BY PRADA.
ー『Nadie Sabe Lo Que Va a Pasar Mañana?』の制作時には、なぜそれほどプレッシャーを感じていたのでしょうか?
自分で自分を追い込んだんだ。トラップだけのアルバムを作ろう、こういう音楽にしようって。それが世間が求めてるものだって、勝手に思い込んでしまう時ってあるんだよ。でもさ、”世間”って誰?って話なんだよ。 今ここでこうして喋ってる間は、このアルバムが俺のすべてで、ここで起きてる以外のことは考えられなくなる。でもさ、Googleマップを開いてこうやって(どんどんズームアウトして地球全体を俯瞰する)見たら、俺たちなんてちっぽけな存在じゃん。俺のアルバムなんて取るに足らないものだし、俺自身もそうだ。それで思ったんだよ、いったいどこの誰が気にするんだ? なんで自分でプレッシャーをかけてるんだ? って。でもさ、人はそういう経験から学ぶんだよ。あのアルバムは好きだけど、一番の収穫は自分がどこにいたいのか、どこに向かいたいのかを把握できたことだった。今後はここが自分の居場所なんだって思える場所、自分が何かしらの形で貢献できる場所にいたいと思ってる。
ー『Un Verano Sin Ti』は数多くの記録を塗り替えました。制作している段階から、そういう結果を想定していましたか?
まさか。もちろん、作品を作る以上は成功してほしいし、みんなに気に入ってもらいたいと思う。でも、あれほどの成功を収めるとは思ってもみなかった。もうちょっと控えめな成功を想像してたな(笑)。作ってる段階から自信はあったけどね。マネージャーのノアにも、「今作ってるこのアルバム、しっかり広めてくれよ」って言ってたのを覚えてる。でも、俺は同じやり方を繰り返さないんだ。部分的に採用することはあっても、まったく同じフォーミュラは使わない。あのアルバムは大衆に受け入れられやすいものになるって分かってた。「無駄にするなよ、もう2度とこういうのは作らないからな」って宣言してたくらいだからね。成功すると確信してたよ、あれほどの規模ではないにせよね。
狙ってたわけでもなかった。作りたかった音を形にして、リスナーが最初から最後まで通して聴いてお気に入りの曲を見つけてくれたらいいなってくらいでさ。(『Un Verano Sin Ti』について)何度も口にしてきたことだけど、どんな層にもアピールできる作品にしたかった。でも、まさかあそこまで受けるとは思わなかった。いずれにせよ、大勢の人に楽しんでもらえて嬉しいし誇りに思ってる。それが目標だったからね。でも、『Un Verano Sin Ti』はもう既に存在しているわけで、あれを超えることは俺の目的じゃない。次のプロジェクトに取り組むとき、過去の作品と同程度かそれ以上の成功を目指すとか、そんなことは考えたりしない。
それはそれで完結したものとして存在しているし、俺はまた新しいものを作るだけ。そういうスタンスに満足しているんだ。
ー年老いても音楽を作り続けていると思いますか?
もちろんさ、誓ってもいい。好きなリズムや心を満たしてくれる音を探し続けること、それさえできれば他は何もいらないって考えることもあるよ。俺はパーカッションが大好きで、ドラムやコンガ、ボンゴとかの音に昔から惹かれてきた。DNAレベルで求めてる感じがするんだよ。それだけに、『DeBÍ TiRAR MáS FOToS』の制作は本当に楽しかった。過去のどのレコードの時よりもね。
ー今回はたくさん写真を撮ってきましたか?
(笑)多少はね。
PRODUCTION CREDITS Styling by STORM PABLO. Styling assistance by MARVIN LINARES. Grooming by CHRISTOPHER DILÁN. Set design by ANDREA GANDARILLAS PÉREZ. Photographic assistance by SANGWOO SUH. Digital tech: BEN HOSTE. Set dresser: JAFET MARQUEZART.
BAD BUNNY(バッド・バニー)
ニューアルバム『DeBÍ TiRAR MáS FOToS』配信中
配信リンク:https://www.debitirarmasfotos.com/
レーベル:Rimas Entertainment LLC.
Tracklist:
NUEVAYoL
VOY A LLeVARTE PA PR
BAILE INoLVIDABLE
PERFuMITO NUEVO
WELTiTA
VeLDÁ
EL CLúB
KETU TeCRÉ
BOKeTE
KLOuFRENS
TURiSTA
CAFé CON RON
PIToRRO DE COCO
LO QUE LE PASÓ A HAWAii
EoO
DtMF
LA MuDANZA
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