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繋いだ命 何伝え、どう生きる 津波被害の大川小元児童の男性がJR脱線事故負傷者と対面

産経ニュース / 2024年7月11日 21時12分

震災遺構となった大川小を案内する只野哲也さん(右)と、JR福知山線脱線事故の負傷者の小椋聡さん(左)=11日午後、宮城県石巻市(矢島康弘撮影)

東日本大震災の津波で児童・教職員84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小で被災し、奇跡的に助かった男性が11日、107人が死亡したJR福知山線脱線事故の負傷者の男性と、同小で初めて対面した。震災からこの日で13年4カ月。未曽有の災害や事故から生き残った命で何を伝え、どう生きるべきか。それぞれの葛藤や決意を胸に「連帯」を深めようとしている。

災害と事故、教訓語り継ぐ2人

対面したのは、当時小学5年で被災した只野哲也さん(24)と、脱線事故で最も多くの死者を出した2両目に乗車し重傷を負ったイラストレーター兼デザイナーの小椋聡さん(54)=兵庫県多可町。

只野さんは、自身は助かったが祖父や母、小学3年だった妹を津波で亡くした。他の卒業生とともに被災した大川小の校舎の保存活動に奔走。現在は今後の同小の在り方や故郷の発展を考える「Team大川 未来を拓(ひら)くネットワーク」を立ち上げ、震災遺構となった同小を案内するガイドや講演活動を続ける。

小椋さんは、遺族らとともに事故を起こしたJR西日本に対し事故原因の究明を求める活動に参加。犠牲者の乗車位置を探す取り組みや負傷者らによる手記を手掛けたほか、平成30年には事故後の心の変遷をつづった書籍も出版した。

来年で脱線事故から20年となるのを前に、小椋さんらは教訓を語り継ぐため11月に都内で講演会を企画。学校の管理下で起きた津波被害であり人災としても注目された大川小について発信を続ける只野さんに「災害と事故の違いはあるが、経験を伝えてもらいたい」と出演を依頼したのを機に、現地を訪れることになった。

連携し命の大切さに向き合う活動を

この日は、只野さんが小椋さんや妻の朋子さん(56)らに対し、校舎などを案内しながら津波被害の状況を説明。地震後、児童らが約50分校庭にとどまり、高台への避難が遅れたことが悲劇を招いたことを解説した。

小椋さんは「校舎がそのまま残っていることにすごく意味がある。脱線事故の事故車両もそうだったが、人は心を寄せるものが必要」と感想を述べ、「仲間と活動しているのも素晴らしい。連携を深めていきたい」とした。

一方、説明を終えた只野さんも「脱線事故の話をうかがって、ひとごととは思えなかった。被災地だけでなく、事故の被害者などいろいろな分野の方と交わり、今後も命の大切さに向き合う活動を続けていきたい」と、力を込めた。(原川真太郎)

大川小の津波被害

海岸から約3・7キロ内陸の宮城県石巻市釜谷地区に立地。平成23年3月11日の東日本大震災で北上川をさかのぼった津波により、児童108人のうち70人が死亡、4人が行方不明となり教職員10人も死亡した。不十分な防災体制で避難が遅れたとして一部遺族が市や県を相手取り訴訟を起こし、賠償を命じた仙台高裁判決が最高裁で確定。平成30年3月に閉校し、現在は震災遺構として校舎が一般公開されている。

JR福知山線脱線事故

平成17年4月25日、兵庫県尼崎市でJR福知山線の快速電車(7両編成)が制限時速70キロの急カーブに116キロで進入、脱線し線路脇のマンションに激突した。乗客106人と運転士が死亡し562人が負傷。速度超過を防げる自動列車停止装置(ATS)の整備指示を怠ったとして業務上過失致死傷罪でJR西日本の元社長が在宅起訴され、同罪で他にも歴代3社長が強制起訴されたが、いずれも無罪判決が確定した。

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