コンプライアンスの「世界線」 窮屈と自由が逆転した昭和と令和、求められる対話と寛容
産経ニュース / 2025年1月3日 8時0分
「ケツバットだ! 連帯責任!」
野球部員の一人が練習中に水を飲んでいたのを見とがめた顧問の教員が声を張り上げ、部員たちを一列に並べて尻を金属バットでたたいていく。部員は「ありがとうございました」と頭を下げて練習へと戻っていった。
昨年、1つのテレビドラマが注目を浴びた。
TBS系で放送された「不適切にもほどがある!」。時代設定は昭和61(1986)年。俳優、阿部サダヲが演じる中学の体育教員が当時と令和6(2024)年をタイムスリップし、ドタバタ劇を演じる筋立て。タイトルを略した「ふてほど」は昨年のユーキャン新語・流行語大賞に選ばれた。
強権的だが、どこかおおらかだった昭和。自由だが、建前ばかりでやや居心地の悪い令和。対照的ともいえる時代の価値観の相違をユーモアたっぷりに描いたことが、ヒットの理由だった。
× × ×
日本人の「心の在り方」が様変わりしたことは、データでも裏付けられている。特に、ここ10年ほどの変化は急激だ。
体罰によって、訓告や懲戒の処分を受けた教員は、平成25(13)年度の3953人から令和5(23)年度には343人と、10分の1以下に激減した。
体罰だけではない。異性に対する言葉遣いも、公共空間での振る舞いも、自らの行いが「監視の目」にさらされている、と感じられるようになった。
社会を変える契機となったのは2000年代前半、法令の順守を意味する「コンプライアンス」と呼ばれる概念の導入だった。グローバル化に対応する戦略として市場経済の下での自由競争が奨励されるようになり、「出るくいを打つ」ような旧来の制度は、自由な経済活動を縛る非効率的なものとされた。
成蹊大文学部教授の伊藤昌亮(社会学)は、こうした動きを「事前規制から事後監視への転換」として説明する。
男らしさ、女らしさ、会社員らしさ…。あらかじめさまざまなルールが無数に決められており、それによって社会が秩序づけられてきた。
たとえば、職場で幅を利かせていた「自分の仕事が終わっていても上司より先には退社しない」という慣習。こうしたコード(振る舞い、型、規範)を守ることが、暗黙のうちに求められた。
一方で、コードを守ってさえいれば、現代ならハラスメントと糾弾されるような粗雑な振る舞いや、モラルに触れるような行為はある程度、許容された。「なれ合いと癒着の構造」が生じやすい環境だったともいえる。
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こうした事前規制から解き放たれ、他人に迷惑をかけさえしなければ「自己責任」の名のもとに個々人が自由に振る舞えるようになった現代。ただ、コンプライアンスの下で行動は常に厳しく監視され、わずかな不届きが見つかれば告発され、「制裁」を受けるようになった。
平成16(2004)年に政府の渡航自粛勧告を無視した日本人3人がイラクで武装勢力の人質となった事件では、「自己責任」論が巻き起こった。遭難した登山者らの救助を巡っても、自らの責任を追及する声が目立つ。
伊藤は語る。「事前規制型社会の昭和が『窮屈さの中の自由』を謳歌していた時代だったとすれば、事後監視型社会の現代は『自由の中に窮屈さ』を感じるようになった時代だといえる」
交流サイト(SNS)の普及もあり、インターネット上ではコンプライアンスにそぐわない言動を見とがめては一斉に批判する「炎上」が頻発するようになった。「ふてほど」が現代人に響いたのは、この息苦しさを正直に訴えたものだったからだともいえる。
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だが、郷愁から「昭和はよかった」と、失われたあの時代が再来する「世界線」を願うのは、正しいことだろうか。
性的少数者の権利保護が叫ばれているように、男性が「男らしく」あってもなくても、女性が「女らしく」あってもなくてもいい時代。昭和のころよりもはるかに、個人が自由に生きられる社会であることは確かだ。
「コンプライアンスは元来、われわれを窮屈に縛り付けるためのものなどではなく、むしろ反対に、古めかしい束縛からわれわれを解き放ち、自由にするためのものだった」。伊藤はこうも指摘する。
「ふてほど」では、昭和と令和を行き来する主人公らが、双方の時代に影響を受けていくさまが描かれる。対話と寛容。「不適切」を乗り越えるカギは、そこにある。=敬称略
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