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「自衛隊には活動してもらうと困る」の雰囲気も… 30年前の陸自幹部が感じた課題と教訓

産経ニュース / 2025年1月15日 7時30分

17日で発生30年となる阪神大震災では、発生から約100日間で延べ200万人を超える自衛隊員が人命救助や生活支援にあたった。発生時に陸上自衛隊中部方面隊(兵庫県伊丹市)の方面総監だった松島悠佐(ゆうすけ)さん(85)は、関係機関との連携不足や当時の自衛隊アレルギーなど迅速な活動を阻んだ当時の状況を振り返り、「多くの教訓がある」と語った。

101日間活動 「しっかり頑張ってくれた」

地震が発生した平成7年1月17日午前5時46分、松島さんは総監官舎で激しい揺れに襲われた。電話が通じないなか、約30分後に直接官舎を訪れた防衛課長が非常勤務態勢を取りたいと報告、午前6時半ごろには方面隊の全部隊が非常勤務態勢に入った。

最初の出動要請は同35分ごろ。「阪急伊丹駅が崩壊した」と兵庫県警伊丹署から連絡があり第36普通科連隊が近傍災害派遣として出動し、足を挟まれて動けなくなっていた警察官1人を救助。これが自衛隊の最初の人命救助となった。

その後、各地で人命救助や行方不明者の捜索にあたり、総計165人を救助、1238人の遺体を収容し、同28日に警察と合同で行った一斉捜索をもって捜索活動を終了した。自衛隊はその後も給水や食料、入浴支援などを行い、4月27日までの101日間に及ぶ活動を終えた。松島さんは「隊員は文句を言わずにしっかりと頑張ってくれた」と感謝を述べる。

浮かび上がる数々の課題 政治が影響も

ただ一方で、災害派遣時に交通規制する権限が自衛隊になく、パトカーの先導が必要になるなど数々の課題も浮かび上がった。何よりも大きかったのが、県や自治体との連携不足だ。平素から両者間の接触はほとんどなく、ましてや非常時に警察や消防、県が得た情報の共有は難航し、部隊が全容を把握できたのは17日の夕方以降だった。

当時の政治状況も影響したと松島さんは話す。兵庫県南部が旧社会党の重鎮で自衛隊違憲論者の故土井たか子氏の地盤とあってか自衛隊へのアレルギーは強かったという。「『自衛隊には活動してもらうと困る』との雰囲気があった。シャベルでがれき撤去の活動をしているのに、『被災地に鉄砲を持ってきて何をするんだ』と言ってくる人もいた」と振り返る。

自衛隊では災害に備え、京阪神の調査資料を県や神戸市に配布していたが、積極的に使われた形跡はなかった。松島さんは「自衛隊のことを皆がもっと知っていたら、よりスムーズに活動ができていたはずだ」と悔やむ。それでも任務を終えて帰還する際に「自衛隊さんありがとう」と手を振る被災者を見て、隊員たちは感謝の気持ちとやりがいを強くしたという。(秋山紀浩)

あれから30年 増えた権限

阪神大震災から約30年が経過し、東日本大震災など各災害での自衛隊の派遣活動は高く評価されてきた。災害時の自衛隊の活動も権限が増し、資機材も充実してきた。

松島さんは「阪神を契機に、だいぶ理解が深まってきた」と喜びつつ、当時のような誤解や連携不足を招かないためにも「自衛隊のことをもっと知ってほしい」と訴えた。

「災害活動の指揮権 議論を」 関西大社会安全学部 河田恵昭特別任命教授(危機管理) 

阪神大震災に限らず、災害時の初動で自衛隊と警察、消防の活動がばらばらになってしまうケースがある。災害活動でのヘリコプターの運用などでも、各機関で統制が取れない状態が課題となってきた。海外では軍隊の指揮下に警察や消防がぶら下がるケースが一般的だが、日本ではそうなっていないことが大きな要因だ。

隊員の立場上の問題もある。被災地に駆けつけた消防士や警察官は地方公務員のため勤務地以外で死傷した場合の取り決めが不十分だ。消防団員の立場はさらに脆弱(ぜいじゃく)になる。海外では軍隊の指揮下に入った場合、派遣された消防士や警察官が被災地で殉職しても国家が賠償する。日本でも同様に、自衛隊の下で警察や消防が活動すると取り決めるのならこの問題は解決するのではないか。

自衛隊が軍隊として認められていないなかで、政治的な問題にしたくない、火中の栗を拾いたくないという国会議員も少なくない。しかし、国民の命に関わることであり、災害時の指揮権について積極的に議論すべき課題だと考える。南海トラフ地震で自衛隊に求められることとして、被災状況をいち早く把握し、国に連絡する作業がある。甚大な被害が予想される南海トラフ地震では、被災地に入り状況を調べるだけでも大変で、即時に展開できる能力を持った自衛隊でしかできない仕事だ。

「災害派遣ますます重要任務に。期間区切って活動を」日本大・中林啓修准教授(危機管理学)

阪神大震災での自衛隊の災害派遣では、被災自治体との連携が希薄で派遣要請まで時間を要し、道路規制もかけられず現地に入るのに時間を要した。油圧ジャッキやエンジンカッターも満足になく、救助機材がそろってない状態で被災地に入らざるをえなかった。

その後、各自治体の防災部署が強化され、自衛隊の対話窓口ができたことでスムーズに連携が取れるようになってきた。派遣要請も、市町村長が都道府県知事に災害派遣要請を求められるようになった。自衛隊も災害用の救助セットが配備され、即応態勢も充実するなど改善されてきた。

近年、自衛隊にとって災害派遣はさらに重要な任務となっている。南海トラフ地震では甚大な被害が想定され、風水害なども頻発している。

ただ、災害派遣が必要以上に長期間に及べば、訓練や他の業務に支障が出かねず、デメリットも大きい。自衛隊の災害派遣の活動には、ある程度の時間的制約があった方がいいと考える。

自衛隊は地域が自律的にやっていけるよう支援していく存在で、主体となるは基礎自治体だ。自衛隊も過去の災害派遣でどのような活動が必要なのか経験を積んできた。期間を区切ったうえで、ライフラインや医療、介護など、公共性を帯びた民間団体とも協力関係を築きながら、ふさわしい活動を探ってほしい。

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