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生きて将棋を指せるだけで幸せ、勝つことで被災者の力に 谷川浩司さんが奮い立った王将戦

産経ニュース / 2025年1月16日 12時0分

東日本大震災後のチャリティーオークションで、自筆の掛け軸を出品した谷川浩司さん=平成23年4月

《平成7年1月17日早朝、神戸市東灘区の六甲アイランドにある自宅マンションで被災した。当時、妻と2人暮らし。寝室のテレビは台から落ち、リビングの飾り棚が倒れてガラスの破片が散乱していた》

2人ともけがはなく、自宅の被害もその程度で済みましたが、対岸の神戸の街を見ると、いたるところで煙が上がっている。静寂の中で見たその光景は何か不気味な感じがしました。

2時間後、神戸市須磨区の実家の母から電話があり、家が全壊したと知らされました。両親はともに倒れてきた家具の下敷きになったそうですが大きなけがはなく、まずは無事を喜びました。

《谷川さんは、3日後の20日に大阪で順位戦、23、24日には栃木で4連覇がかかった王将戦の第2局と重要な対局を控えていた》

19日朝、妻が運転する車で大阪へ向かいましたが、少し進むと行き止まりになり、引き返して別の道に出るとまた行き止まり…という繰り返し。ようやく尼崎市内に入ると今度は渋滞で車が動かない。大阪のホテルについたのは夜でした。神戸と違って大阪ではほぼ日常が保たれていたことがショックでした。

大阪に出てくる道中、車窓から街の惨状を見ながら罪悪感にとらわれました。こんなに大変なときに神戸を離れるのが申し訳なくて。でも、できるのは将棋を指すことだけ。やるしかないと自分を奮い立たせました。

《翌日、谷川さんは順位戦で勝ち、王将戦第2局も勝利を収めた。王将戦の挑戦者は、当時、棋聖、竜王、名人、王位、王座、棋王の六冠を持っていた現将棋連盟会長の羽生善治さん(54)。谷川さんは最終的にタイトルを防衛し羽生さんの七冠を阻止した》

タイトル戦が始まったときは羽生さんの七冠なるかということに注目が集まっていたのですが、震災が起きて、私が被災地・神戸の代表みたいな感じで取り上げられ、将棋の枠を越えて社会的な話題となりました。神戸のために戦う、という気持ちがどこかにありました。勝つことで間接的にでも被災者の方たちの力になれれば、と。何とかタイトルを防衛できてほっとしました。

震災を経験してつくづく思ったのは、当たり前と思っていたことが当たり前ではない、こうして生きていて将棋を指せるだけで幸せなんだ、ということです。初心に戻って将棋に向き合うようになりました。

《以降、谷川さんは講演会などで震災体験を語り、東日本大震災(平成23年3月)の被災地に出向き、能登半島地震(昨年1月)の際には若手棋士らが企画したチャリティーイベントに参加するなどして積極的に被災者支援に関わってきた》

災害が起きた時間や、そのときにいた場所により、命を失う人もいれば、私のように比較的軽い被害で済む人もいる。大きな災害が起きるたびに、偶然によって人の命が左右される不条理さを感じてきました。

では被災者の方たちにどう寄り添えばいいのか。私でさえ当時は虚無感にとらわれました。大切な身内を亡くした人に軽々しく「がんばってください」なんていえません。まず、相手の話を聞く、次に思いをともにする、そのうえで自身の経験を伝える、という3つのプロセスを踏むことが大事だと考えています。

震災から30年。まだ答えの出ないことも多くありますが、自分の体験を語り、被災者の話を聞き続けることは私の責務だと思っています。(聞き手 古野英明)

たにがわ・こうじ 昭和37年、神戸市生まれ。昭和51年、14歳8カ月で四段となり、史上2人目の中学生プロ棋士に。58年、当時史上最年少の21歳2カ月で名人を獲得し、平成4年には、棋聖、竜王、王位、王将の四冠を達成。タイトル通算27期は歴代5位。令和4年5月、十七世名人を襲位した。平成24年12月から約4年間、日本将棋連盟会長を務めた。

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