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全豪オープン初日に起きた阪神大震災 途方に暮れる沢松奈生子さんが我に返った叔母の一言

産経ニュース / 2025年1月10日 12時0分

地震で被害を受けた沢松奈生子さんの実家=平成7年1月23日、兵庫県西宮市

《平成7年1月17日、オーストラリア・メルボルンでテニスの全豪オープン初日の朝を迎えた。この日午前5時46分(現地時間7時46分)、近畿地方を阪神大震災が襲った》

ホテルの内線電話が鳴りました。コーチが「今すぐCNN(米国のニュース専門放送局)をつけろ」と言います。テレビの映像に衝撃を受けました。阪神高速が崩壊し、道路から大型バスが落ちそうになっています。地元で起きたことだと理解するのにしばらく時間がかかりました。

兵庫県西宮市の実家に何度電話をかけてもつながりません。家族全員亡くなったのではと恐怖が襲ってきました。

千葉県に住む叔母とやっと電話がつながり、「家は全壊。家族は無事」と知らされました。家が全壊して誰一人無傷なんてありえない。大事な試合の前にショックを与えないよう噓をついていると思いました。「無事というなら証拠を見せて」と泣き叫びました。

叔母は厳しい言葉を投げつけました。「プロ選手の道を選んだなら、親の死に目に会えないくらいの覚悟を決めているはず。そんなに言うなら太平洋を泳いで帰ってきなさい」。われに返り、出場を決心しました。

《その日の試合は雨で順延となり、翌日、1回戦に出場した》

寝ていないし、食べていないし、試合ができるような状態ではありませんでした。しかし、なぜか普段なら絶対に取れないだろうボールに届く。後ろから誰かに押し出されているような感じがありました。「がんばれ」と被災した方たちの声援が観客席の声よりも大きく聞こえてくる気がする。とても不思議な体験でした。

《その大会でベスト8に進出。過去最高の成績だった》

ツアーが終わり、実家に帰りました。落ちてきた天井がはりで止まり、両親は助かっていました。それでも全壊した家、変わり果てた街の風景はまるで映画を見ているような感じで、気持ちの整理がつくのに10年以上かかりました。

《昨年1月、能登半島が大きな地震被害に遭った》

毎日生きるだけで精いっぱいだったのが、1年たって将来のことを考える余裕が生まれるころ。失ったものの大きさを実感し、なぜ自分たちだけがこんなに苦しい思いをしなければならないのか、孤立感を深める時期ではないでしょうか。

どうか殻に閉じ籠もらないでほしい。我慢することが日本人の美徳でもあるけれど「吐き出す」ことはすごく大切です。つらいときは「つらい」と言っていいんです。

《17日には阪神大震災から30年となる》

実家には今も「5時46分」で止まったままの置き時計があります。私の娘は今、高校2年生。両親は「生かされている命」について娘に語ってくれました。命がつながっている以上、この先も生きていく意味や何か自分たちにできることがあるのではないか、と。

私も知り合いを亡くし、多くのものを失いました。でも「自分たちは不幸だった」「つらかったね」と思うだけで終わってしまうのは悔しい。この経験には意味があるはず。そう思い、その意味をずっと探し続けています。(聞き手 安東義隆)

さわまつ・なおこ 昭和48年、兵庫県西宮市生まれ。高校在学中に全日本テニス選手権優勝、大学入学と同時にプロに転向。バルセロナ五輪とアトランタ五輪に出場した。阪神大震災が起きた年の全豪オープンでベスト8進出。自己最高の世界ランキングは14位。

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