能登地震半年、鎮魂と復興の「あばれ祭」開催へ もう一度この土地で生きていく移住者一家
産経ニュース / 2024年6月30日 21時0分
能登半島地震で被災した石川県の奥能登地域の伝統祭礼「キリコ祭り」の先陣を切って、奇祭として知られる能登町の「あばれ祭(まつり)」が7月5、6両日に開かれる。当初は開催が危ぶまれながら、人々の強い思いで行われる今年の祭りは、半年前の地震で亡くなった人々の鎮魂、そして復興への祈りが込められている。地震で中学1年の次男を亡くした移住者の一家も、祭りで培われた地域のつながりを支えに、もう一度この土地で生きていこうとしている。
「僕たちの誇り」
「この半年間、本当にいろいろな方々から支援をいただき、おかげさまで前に進めると思っています」
30日午後、東京都内で開かれた復興支援イベント。登壇した能登町定住促進協議会の事務局次長、森進之介さん(43)は、万感の思いを込めて言った。
1月1日、次男の銀治郎さんを亡くした。中学1年。享年13。
ユーモアがあり、中学校では学年関係なく生徒に慕われた。所属するソフトテニス部では「将来のエース」と目されていた。
亡くなるひと月ほど前、町教委主催の「私が町長だったら作文コンクール」で優秀賞に選ばれ、表彰された。題名は「能登町自然いっぱいの都会化計画」。家族で移住してきた経験をもとに、自然豊かな奥能登の魅力を発信し、移住者を増やして、町を「自然いっぱいの都会」にしようという計画だ。
この日のイベントで一緒に登壇した町職員で、今春まで森さんの上司だった男性は、集まった110人ほどの聴衆に黙禱を呼びかけ、言った。
「銀ちゃんは、僕たちの誇りです」
奥能登に魅せられ家族で
森さん一家は平成27(2015)年11月、金沢市から移住してきた。金沢で生まれ育った森さんは当時、広告デザイン会社で働いていた。「北陸新幹線の金沢延伸バブルに沸いて、業績も上がっていた。一方で、エナジードリンクを飲んで徹夜して、家族との時間は減っていった。誰のため、何のために働いているのか、分からなくなってきた」
体調も悪化し始めた。そんなとき、仕事で能登町を訪れた。
「澄みわたる海、豊かな新緑、笑顔とゆとりあふれる農家の人たちや子供たちを目の当たりにして、価値観や環境のあまりの違いに驚いた」
体調はいよいよ悪くなり、仕事を休んだ。休養中、金沢から車で2時間かけて、あの海を目指した。小学校以来、十数年ぶりに釣りをした。穏やかな海を眺め、体調がよくなるのが自分で分かった。
町が事務局を務める移住・定住者の受け入れ機関で移住コーディネーターの職が見つかり、移住した。夕方5時15分に退庁し、5分後には目の前の港で釣り糸を垂れた。
「釣れた魚を近所へおすそ分けしたら、野菜や子供たちのおやつになって返ってきた。クリスマスにはイカがケーキになった。子供たちも海や山で遊び、能登弁も使うようになった。町内会へ入り、地域のキリコ祭りも参加した。子供たちも太鼓や鐘を鳴らした」
移住コーディネーターは、都市部の移住希望者と、町内に193ある集落とをつなぐ仕事だ。森さんは9年間で493家族898人を集落へ案内し、187家族320人が実際に移住した。移住者から34人の子供が生まれた。
次男の銀治郎さんもよく、父が移住者を集落へ案内する際についてきた。彼の「自然いっぱいの都会化計画」も、そうした経験の積み重ねから生まれたようだと父は言う。
森さんはやがて自分の集落で、祭りの「役」を任されるようになった。「やっと能登の男になったな」と言われるようになった移住9年目の元日、能登半島地震が起きた。
消波ブロックの上を搬送
森さん一家がいた海岸に近い瓦屋根の家は倒壊し、1階部分がつぶれた。森さんは倒壊家屋に挟まれ、骨盤骨折の大けがをした。
「意識が遠のく中、本気で覚悟した」
そのとき、近所のおじいさんとその息子が駆けつけてきた。津波警報が鳴り響く中、まず無事だった当時中3の長男と小3の長女を安全な場所へ避難させてくれた。地元の消防団員たちは道路が寸断される中、森さんをストレッチャーに乗せて、海辺の消波ブロックの上を病院のある地区まで運んでくれた。
ドクターヘリで金沢の病院まで搬送され、入院。骨盤を固定する手術を受け、退院できたのは3月になってからだった。
「集落の人たち、地元の人たちに生かしてもらった。ありがたいって言ったらなかった。そのとき妻と一緒に話した。絶対にあの集落へ戻ろうと」
住民たちは避難所に身を寄せ合い、自宅から引っ張りだしたおせち料理を分け合った。
子供たちへ残したい
森さんらは、そうした地域のつながりを育み、培うのが「祭り」だという。
能登町内では年間116の祭りが行われており、3日に1回は、人口約1万5千人の町のどこかで祭りが行われている計算だ。子供たちは赤ん坊のころ首が座る前から、お年寄りはシニアカーに乗るころになっても、祭りに参加する。
祭りは集落ごとに「キリコ」と呼ばれる奉燈やみこしの担ぎ方、笛の音などが微妙に異なる。とりわけ町の中心部、宇出津地区のあばれ祭は、350年以上続く奇祭として知られる。
森さんも例年、「人足」と呼ばれる担ぎ手の一人として参加し、銀治郎さんら子供たちは縁日を回る「屋台遊び」を楽しみにしていた。
今年の祭りは、キリコやみこしを作る製材所や工務店が被災するなど開催が危ぶまれたが、例年通り行われる。ただ、地震の影響で昨年参加した36町内会のうち4町内会は不参加。駐車場や宿泊施設の確保が難しいことから、今年は地元の人たちを中心に復興を祈る祭りとなるという。森さんも腰のけがのことなどがあり、今年は裏方で支える。
「地震では悲しくてつらくて、怖い思いをした。でも、それ以上に地域の人たちのありがたさを感じた。能登のありがたみを知った。銀治郎が育った土地、大好きな友達がいる能登町を必ず復興させたい。この能登を子供たちへ残したい」
森さん一家は5月中旬、もとの家の近くで、みなし仮設住宅での生活を始めた。
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