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阪神大震災で「避難所へ毎日パンを届けた」大阪・豊中市長が語る若手職員時代の記憶

産経ニュース / 2025年1月17日 5時0分

阪神大震災の被害を受けた建物の屋根にはブルーシートが敷かれている=大阪府豊中市(同市提供)

平成7年の阪神大震災において大阪府内で唯一、激甚災害の指定を受けた豊中市の長内繁樹市長(66)が産経新聞の単独インタビューに応じた。当時、市職員として住民対応に奔走。半年間にわたり毎日避難所にパンを届け、体重は1カ月で10キロ落ちた。「個人的にも人生観が変わった出来事であり、行政のあり方の転換点にもなった」と振り返り、当時の記憶を言葉で紡いだ。

7年1月17日午前5時46分、自宅マンションを突然襲った大きな揺れで目が覚めた。室内の被害が軽微なことを確認し、原付きバイクで市役所へ向かった。

職場では、所属していた国民年金課の天井の水漏れに緊急で対処。上司らは慌ただしく動き回ってはいたものの、「仕事中はテレビを見ることができず、豊中市内の被害状況はまったくわからなかった」。全容は帰宅後に報道で知った。

「えらいこっちゃ。日本での出来事なのか」

横倒しになった高速道路や炎上する神戸市街地の様子に思わず声を上げた。翌日以降、市内での被害も徐々に判明し、長内さんも被災者支援に加わった。

市役所には全国から次々と救援物資が届いたが、当時のルールは「広く浅く公平に」。平等に配布できない物資は、届けてはならないという指示を受けた。じくじたる思いの中で「公務員としての限界も感じた」と明かす。

長内さんは、約半年間にわたり避難所へ毎日パンを届け、年金システムの改修などに追われた。激務が続き、体重は約1カ月で10キロも減ったという。

震災による市内の死者は11人で重軽傷者は2496人。市南部を中心に4922棟の家屋が全半壊し、国は豊中市を府内で唯一、激甚災害の対象に指定した。

ただ市によると、阪神大震災を経験した職員は約600人となり、全職員のわずか17%程度にすぎない。

「記憶を継承して、災害対策を意識した職員を育てるのは急務」(長内さん)という意識のもと、18日には災害時の地域と行政間の円滑な協力を目的に、一斉防災訓練を実施する。

「避難所の運営を地域に任せ、行政は情報をキャッチして支援に注力する。あらかじめこうした連携態勢を構築し、災害対応に臨むことが重要だ」と話している。(格清政典)

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