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「笑う」という心の復興 阪神大震災で母を亡くした落語家、桂あやめさん

産経ニュース / 2025年1月17日 21時31分

阪神大震災を経験したからこそ「人を笑わせる仕事で良かったと思った」と語る落語家の桂あやめさん=大阪市中央区(南雲都撮影)

平成7年の阪神大震災で最愛の母を亡くした落語家の桂あやめさん(60)。深い悲しみから、自身をすくい上げてくれたのは「笑い」だった。震災5カ月後に神戸で開いた落語会で、超満員の会場に響いた笑い声が今も耳に残る。「しばらく笑うことは不謹慎だという空気がありました。でも『笑って立ち直る』も、私は正解だと思う」

《震災で神戸市の実家が全壊し、母の玲子さん=当時(63)=を亡くした》

当時私は大阪に住んでいて、母とは震災数時間前の深夜11時頃まで「来月カニ食べに行く?」なんて電話で話していた。だから親戚から「家がつぶれて、お母さんはあかんかったみたい」と電話がきたときも、まるで実感がなかった。翌日早朝、姉と神戸に向かいました。

母は1階で寝ていて家の下敷きになったそうです。一緒に寝ていた父は2時間ほど生き埋めになったものの奇跡的に無傷で、近くの集会所に避難していました。夕方、私たちが到着したとき、父は毛布にくるまれた母の遺体の横でぼーっと立っていました。まもなく葬儀会社の人が来て、「今手続きしたら明日の朝一番で斎場に行ける。つらいやろうけどすぐサインして」と言われ、母を荼毘(だび)に付しました。父はぼろぼろ泣いていました。

《母も実家も失いながら、震災の3日後から落語会に出演した》

周りには心配され「大変でしたね」ばかり言われたけど、「もうやめて」と思っていて。早く普通に落語をして「私はもう『かわいそうな被災者』じゃない」と見せたかった。

《震災5カ月後の6月には、神戸で親しまれてきた地域寄席「もとまち寄席 恋雅(れんが)亭」の復活公演に臨んだ》

今の神戸で落語を見に来てくれる人がいるのかと不安でしたが、当日は通路までお客さんがびっしり。「がれきをかき分けてきてん」とか「街灯がつかへんから日が暮れるまでに帰らな怖い」とか言いながら、「はよ笑わして」という異様な熱気が充満していました。

あの日のことは忘れられません。バーン、バーン!と爆発音のような笑い声が天井に当たっては降ってくる感じ。当時はテレビもバラエティー番組を控え、社会に「笑ったらあかん」という空気があったんです。でも来てくれた神戸のお客さんたちはきっと、ずっと笑いたかったんやと思います。震災という非日常の中で「笑う」という日常を取り戻すためにも。

《当時の落語のマクラでは、被災の話が「神戸あるある」として共感と笑いを生んだ》

震災で神戸の人は深く傷ついた。私も元気でいる母の夢を見て、目が覚めたときに何度も号泣しました。

でも、神戸には自分の被災体験を面白く語る人がいっぱいいました。辛い経験を笑いにかえて話すことが自分の救いになることもあると思う。

震災から30年。だんだん遠いものにはなっていくけれど、その日がくるたびに思い出すことがあります。私は母を思い、そして落語という人を笑わせる仕事をしていてよかったなと思うんです。(聞き手 田中佐和)

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