地震で母と弟亡くした悲しみ抱えつつ前へ 豪雨被災地でボランティア「困った人のために」
産経ニュース / 2024年12月29日 18時56分
元日の能登半島地震で石川県輪島市の実家が倒壊し、弟と母を亡くした金沢市の会社員、外(そと)武志さん(61)は被災地を襲った9月の豪雨以降、現地で泥の清掃などのボランティアとして汗を流してきた。家族を失って1年。悲しさが消えることはないが、「地震の時は私たちも困っていた。今困っている人がいるなら、何とかしてあげたい」と前を向く。
一家だんらんを過ごすはずの正月は、1年前の地震を境に祝う気分になれない。生まれ育った実家は5月に公費解体され、更地となった。年の瀬に電話で正月準備の相談をするのが恒例だった母は、もういない。
元日の夕刻を襲った最大震度7の激震で、弟の忠司さん=当時(58)=は倒壊した実家の下敷きになり、亡くなった。生存率が大幅に下がるとされる地震後72時間を過ぎ、奇跡的に救出された母の節子さん=同(89)=も、間もなく命を落とした。
「きっちりした母で、孫をこよなくかわいがってくれた。弟は本が好きで、実家に戻ったら酒を酌み交わしていた」。外さんはそう振り返る。
毎朝、金沢市内の自宅の一室に置かれた2人の遺骨に手を合わせ、日々の出来事を報告している。仏壇には、倒壊した実家から見つかった仏像や鈴を並べる。
実家からは節子さんの着物や弟の書物など、さまざまなものが見つかった。特に思い出深いのが家族のアルバム。母や弟の生前の姿を思い出しては懐かしい気分に浸る。
寂しさを引きずる日々だったが、9月下旬に能登半島を襲った豪雨が転機となった。発生直後に実家の墓の様子を見に輪島市内へ戻ると、至る所が水浸しとなっている光景に愕然(がくぜん)とした。
翌10月に友人の家の泥をかき出す作業に協力。その後、ボランティアセンターに登録して豪雨被災地で4回ほど、側溝や民家にたまった泥を撤去する作業にあたった。「地震のとき自分たちも困っていた。能登は高齢者が多いし、手伝ってあげたい」と話す。
趣味のマラソンも再開した。10月には金沢マラソンに出場し、42・195キロを完走した。沿道の声援に感謝の思いを伝えようと、「まけとられん!能登」と書かれたTシャツを着て走ると、「能登頑張れ」とのエールも送られた。
気持ちの整理を進め、来春には2人の遺骨を墓に納める予定だが、突然の別れから1年ではまだ寂しさが残る。それでも「前を向いて走り出そうという思いを持てるようになった」。年明けの1月中旬には再びボランティアに参加し、被災地のために奮闘するつもりだ。(秋山紀浩)
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