「浜松のスズキ」を「世界のSUZUKI」へ 死去のスズキ・鈴木修相談役
産経ニュース / 2024年12月27日 16時38分
スズキは27日、鈴木修相談役が死去したと発表した。94歳だった。
国内メーカーに先んじて進出したインドでトップシェアを誇る企業に育て上げ、「浜松のスズキ」を「世界のSUZUKI」へと脱皮させた。提携先の米ゼネラル・モーターズ(GM)の経営破綻、独フォルクスワーゲン(VW)との提携失敗などの危機も乗り越えた。ユーモアあふれる語り口、気さくな人柄でも愛されたスズキの〝中興の祖〟だった。
招かれざる客
中央相互銀行(現在の愛知銀行)に入行したが、鈴木自動車工業(当時)の創業家に2代目の鈴木俊三社長の娘婿として入ったのを機に自動車業界へ転身。当時のことを「招かれざる客だった」と振り返っており、将来を約束された「プリンス」に対し、周辺からは反発もあったようだ。だが、社員とのコミュニケーションについて「行動で示すことが一番だ」と話していた通り、経営の実績でトップとしての能力を証明してみせた。
インドに進出
最も語り継がれる功績は、インドへの進出だろう。インフラ設備も脆弱で労働環境も異なる状況だったが、社内の反対を押し切った。「どこかで一番になりたい、と考えた。自動車メーカーのない国に行けばいいと思った」と振り返っていた。日本式経営を地道に浸透させ、インド政府との合弁会社をトップメーカーに育て上げた。
リーマン・ショック後の自動車業界再編をめぐり、平成21年12月、独自動車大手フォルクスワーゲン(VW)との包括提携協定に合意。しかし、VWがスズキを支配する意向を示したため、法廷闘争の末に提携を解消。28年にはトヨタ自動車と「業務提携に向けた検討開始」で合意し、豊田章男社長(当時)と並んで会見を開いた。
ユニークな「修語録」
鈴木氏を語るうえで欠かせないのがユニークな表現を交えた「修語録」の数々。GMとの提携発表では「GMはクジラで、スズキはメダカではなく蚊。蚊は空高く舞い上がり飲み込まれない」と発言。70歳の時に高齢を指摘されると、「僕の年齢は7掛けで厄年(49歳)だ」と切り返した。
もっとも、存在感の大きさゆえに、世代交代には苦労した。12年に会長へと退いたものの、跡継ぎとして期待をかけていた娘婿の取締役は50代の若さで急死。この過程で復帰した社長職を27年に長男の俊宏氏に譲ったが、その後も会長として社内外で絶大な影響力を持ち続けた。
高齢でも勇退せず、俊宏社長がリーダーシップを発揮できる環境を整えないことに対する批判もあったが、令和3年に会長を退任し、相談役となった。40年以上にわたり、社長と会長として、スズキの経営をリードし、「仕事一筋」の生涯を全うした。(高橋寛次)
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