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評伝・仏極右ルペン氏「フランスの闇」体現した異端の政治家 記者をだみ声で一喝

産経ニュース / 2025年1月8日 8時0分

フランスで7日、極右政党「国民戦線」の初代党首、ジャンマリ・ルペン氏が死去した。2017年4月にインタビューしたとき、だみ声の「ルペン節」が印象的だった。三女のマリーヌ・ルペン氏が、大統領選で決選投票進出を決めた夜のことだ。

住まいの城は、パリを見晴らす丘の上にあった。党員たちがシャンパンで祝杯を交わす広間を抜け、古い家具で覆われた執務室に通された。おずおずと自己紹介すると、しかめ面で「聞こえないぞ」と一喝された。当時88歳。椅子に寄りかかる姿勢に老いが見えたが、社交辞令抜きでズバズバ相手に切り込む性格は健在だった。メガネの奥の眼光は鋭かった。

選挙について聞くと、「マリーヌは私のように嫌われていない。『未来』を体現する候補だ。エリートに対抗できる唯一の存在だと、大衆が認めた」と語った。ルペン氏は、2代目党首となったマリーヌ氏から党籍を奪われ、当時は「お家騒動」のさなかにあった。だが、インタビューでは娘への怒りは見せず、冷静に票を分析した。

ルペン氏は政界で、「極右の悪党」として忌み嫌われた。後継者に育てた娘からも邪魔者扱いされた。その理由は、人種差別発言を繰り返したことだけではない。フランスが封印した「歴史の暗部」を突き付ける存在でもあった。

第二次大戦中の独ナチスによるユダヤ人虐殺を「ささいなこと」で片づけた。戦後、反逆罪を宣告された親独政権の指導者を「裏切り者とは思わない」と擁護した。旧植民地アルジェリアへの従軍経験を回想し、「(独立派を)拷問した。必要だったからだ」と言ったこともある。人権大国を自認するいまのフランスにとって、ナチスの片棒を担ぎ、植民地独立を暴力で封じようとした歴史は苦い過去でしかない。

1972年の国民戦線結成には、暴力的な右翼、親ナチス派の残党が加わった。ルペン氏は下院議員だった経歴から「穏健な看板」として担ぎ上げられ、やがて党の実権を握った。パリの自宅アパートを爆破されたこともある。常に敵がいた。

党は80年代以降、移民排斥や反欧州連合(EU)を掲げ、大衆政党として成長した。グローバル化への労働者の反発を吸収した。2002年の大統領選でルペン氏は、社会党候補を抑えて決選投票に進出し、保革二大政党制に風穴をあけた。この時は、得票率18%で現職だったシラク大統領に惨敗した。娘のマリーヌ氏は、17年に続いて22年の大統領選も決選投票に進み、マクロン大統領を相手に4割の票を獲得した。「国民連合」と名を変えた党はいま、下院最大の野党になった。

自分を切り捨てて羽ばたいた娘は、念願だった権力の座をつかめるか。27年の大統領選を見ずに逝去したことは、さぞかし残念だったろう。

(パリ支局長 三井美奈)

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