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「1秒でもあれば何かしたい」 濃密な人生送った森永卓郎氏 闘病も「戦って死にたい」 

産経ニュース / 2025年1月29日 14時33分

森永卓郎さん=2016年6月14日午後、東京都中央区(春名中撮影)

経済解説からバラエティー番組まで、多彩な活躍を見せた異色の経済アナリスト、森永卓郎さんが28日、原発不明がんのため67歳で亡くなった。闘病生活を送りながら、前日までラジオにリモートで生出演していた。森永さんは「前向きに戦って死にたい」と語っていたが、言葉通り、最期まで戦い続けた人生だった。

2月1日から掲載予定の産経新聞連載「話の肖像画」インタビューのため、森永さんにお会いしたのは、令和6年12月10日だった。

森永さんはやせて、つえを手にしていたが、元気な様子で「今も一人で電車で移動しているんですよ」と人懐っこい笑顔を浮かべていた。

インタビューは、幼い頃の海外生活、強い影響を受けた頑固一徹の父親、グリコのおまけやだじゃれグッズなど集め続けて12万点を超えたというコレクション、日本経済の行く末…と多岐にわたる内容となった。森永さんは話術巧みに、力強い声で語り、こちらを楽しませてくれた。

「海外生活では差別され続けた。だから私は誰も差別しないし、常にオープン。そのせいで脇が甘くなって〝いじられキャラ〟になってしまった」としみじみ話した姿が印象的だった。

取材時間は3時間近くに及んだ。「疲れませんか。休みましょうか」と何度か声をかけたが、「全然大丈夫です。それより腹が減って」と、カレーパンを食べながら話し続けていた。

「今の目標は寓話作家。夏頃にはイソップが書いたとされる七百数十編を超えてみせる」と豪語。闘病中にも関わらず口調には自信がみなぎっていた。

早かった返信が徐々に遅れて…

今年に入っても、森永さんとは原稿の不明点について、メールでやり取りを続けていた。返事を催促するのは控えたが、反応がとにかく早かった。多忙の中、数時間のうちに的確な返信が返ってくる。だか、1月15日頃から返信が遅れ始め、文面も極めて短くなった。そして、21日に受け取ったメールが最後になった。

「無駄が嫌い。1秒でもあれば何かしたくなる」と語り、実際に驚異的な仕事量をこなしていた。8月には13冊もの本を執筆したという。濃密な人生を送った人だったと感じた。(岡本耕治)

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