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催涙スプレーで反撃、走行電車から飛び降り 捜査3課vs「韓国人武装すり団」の戦い㊤ 警視庁150年

産経ニュース / 2024年12月30日 8時0分

警察官から職務質問を受けた韓国人武装すり団が催眠スプレーを噴射したJR西日暮里駅のホームを、防護服を着て調べる消防署員や捜査員ら=平成18年4月(栗橋隆悦撮影)

平成初期から中期にかけて、刃物や催涙スプレーを手に日本国内で組織立った窃盗を繰り返す「韓国人武装すり団」が跋扈(ばっこ)していた。刃物でかばんを切り裂き、走行中の列車から飛び降りて逃走するなど、捜査員を翻弄した。しばしば警察官にも凶刃を振るった凶悪集団と最前線で対峙(たいじ)し続けた警視庁捜査3課すり班の「戦い」を、捜査関係者の証言などから振り返る。

電車の乗客ら搬送

「逃げるな。止まれ」

平成16年6月、東急東横線田園調布駅。財布をすって逃走した男の一人に、立ちはだかった男性がこう声をかけた。すると男は催涙スプレーを噴射。近くの高級住宅街に逃げ込んだ。警察官が拳銃を発砲するなどして、犯人グループの一人を何とか取り押さえた。

この事件は、武装すり団の凶暴さを広く世間に知らしめた。捜査関係者によると、警視庁の捜査資料に残る最初の事件は2年12月15日。逮捕した男が七徳ナイフを所持していたという。その後も駅で年配女性などが狙われる被害が多発した。

10年12月にはJR埼京線で犯行をすり班捜査員に看破された男が車内で催涙スプレーを噴射し、乗客61人が救急搬送された。18年4月にはJR西日暮里駅で警察官に職務質問された男が構内で催涙スプレーを噴射、乗客27人が手当てを受けた。

埼京線の事件で犯人がとった逃走方法は、捜査員を驚かせた。車両連結部の蛇腹を犯行用の刃物で切り裂き、走行中の車両から飛び降りたのだ。

度胸試しに自傷

「あのころのすり班捜査員は体を張っていた」。捜査幹部はこう振り返る。9年1月にはJR日野駅で、男性捜査員がすり師に切りつけられ、刃物はかわしたものの列車とホームの間に挟まれて重傷を負った。

捜査員が見たすり師たちの姿は、想像を絶する荒々しさだった。

捜査関係者の手元に、十数年前に撮影されたというある容疑者の写真が残っている。上半身にいくつも走るのは刃傷だ。「これは自分で入れたもの。度胸を示すために自分で体を傷つける風習があった」(捜査関係者)。

いとも簡単に自分を傷つけられる者こそ、〝気合が入っている〟というわけだ。

かつて警察手帳は、ひもでスーツや制服に固定していたが、犯人らの中にはわざと接近してきてひもを切り落としてくる者もいたという。「犯行を邪魔された腹いせだろう」(同)

取り締まりの副作用

すり団が日本で犯行に及ぶようになったきっかけは、韓国政府がすり犯に厳しく対応したことにあるとされる。

韓国では1988(昭和63)年ごろから摘発に銃器の使用を認めるなど、取り締まりを強化。すり団が活路を求めたのが隣国、日本だった。

「日本人は防犯意識が希薄で、すりが簡単」「逮捕されても日本は刑が軽い」。彼らはこううそぶいたという。

日本での韓国人すり犯の摘発件数は平成3年から毎年、200~600件台を推移。9年には1千件を超えた。

一度は落ち着いたものの、14年から増加に転じ、16年ごろからはATM利用者の暗証番号を盗み見て、尾行して取り囲んでキャッシュカードを奪う手口まで現れた。

年々手口が凶悪化していくすり団と、捜査3課の「死闘」は続いた。(内田優作)=(下)へ続く

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