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「これで安心」原告の92歳男性が亡き妻に手話で報告、旧優生保護法訴訟 最高裁違憲判決

産経ニュース / 2024年7月3日 21時40分

妻の遺影とともに記者会見に臨む小林宝二さん=3日午後、東京都千代田区永田町の衆院第一議員会館(酒巻俊介撮影)

旧優生保護法下で障害などを理由に国が強制した不妊手術を巡る訴訟で最高裁大法廷(裁判長・戸倉三郎長官)が3日、旧法を違憲とし、国の賠償責任を認める統一判断を初めて示した。旧法制定から70年あまり。判決により被害者の全面救済への道が開かれたが、長すぎる歳月により、この世を去った当事者もいる。原告らには喜びとともに、やるせなさも交錯する。

「妻も天国から喜んでいると思います」

判決後、手話でそう話した原告の一人の小林宝二(たかじ)さん(92)=兵庫県明石市=の傍らには、89歳で亡くなった妻の喜美子さんの遺影があった。この日の最高裁判決を迎えることなく、令和4年6月に亡くなった。

ともに聴覚障害を抱え、一緒に提訴に踏み切った妻。「この判決を待っていました」。宝二さんは判決後、手話で喜美子さんの思いを代弁した。

「赤ちゃん、だめ」

兵庫県出身の2人は知人の紹介で知り合い、昭和35年に結婚した。間もなく、喜美子さんの妊娠が分かった。

「男の子かな、女の子かな」「どちらでもいいな」。職場で障害者差別を受けていたという宝二さんにとって、妻の妊娠は「跳び上がるほどうれしかった」。

だがある日、宝二さんが仕事から自宅に帰ると、喜美子さんの姿はなかった。10日ほどして戻った喜美子さんは、泣いていた。

「赤ちゃん、捨てた」。喜美子さんは多くを語らなかったが、腹には大きな傷痕があった。

宝二さんの母は喜美子さんの妊娠を喜んでおらず、母親が中絶手術をさせたと思った。激怒し、身ぶりで問いただすと、母親は「赤ちゃん、だめ」と答えるばかり。宝二さんは「あんたたちは耳が聞こえないから、子供なんて育てられない」と言われているように感じたという。

夫妻はその後も子供を望んだ。「子供がいたら、とてもかわいがるのに」と話したこともある。だが、子宝に恵まれないまま、長い歳月だけが過ぎていった。

「元に戻して」

喜美子さんが受けた手術が中絶手術ではなく、旧優生保護法に基づく不妊手術と分かったのは、手術から約60年後の平成30年だった。全日本ろうあ連盟の調査を通じ、初めて旧法を知った。

「私たちは皆、だまされていた。取り返しのつかないことがされてしまった」と宝二さん。

2人の夢は永遠にかなわなくなった。兵庫県の他の障害者とともに同年、2人は神戸地裁に提訴した。

「私の体を元に戻してください」。喜美子さんは繰り返し訴えたが、令和3年8月、神戸地裁は旧法が違憲とは認めたものの、賠償請求は棄却。喜美子さんが亡くなったのは、その翌年だ。

辛酸をなめてきた宝二さんを含め、全面救済される道を開いた最高裁判決だが、提訴後、今回の判決を迎えるまでに亡くなった原告は他にもいる。

国に対応を引き延ばされ「苦しみは長くなった」と振り返る宝二さん。「今日で闘いを終わりにしたい。これで安心できます」と手話を交えながら、遺影を慈しむように見つめた。(橘川玲奈)

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