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自然>人の都合 小鹿田焼のものづくり、民藝であり続けるため探るマイナーチェンジ 民藝百年(中)

産経ニュース / 2025年1月6日 7時10分

壁に据えられた制作道具。鉋(かんな)などは手作りしているという

職人の手が生む素朴な日用品に「民藝」と名が付いたのは、100年前の1925(大正14)年。無銘の「雑器」の美しさに気づき、民藝運動を始めた思想家、柳宗悦や、英国の陶芸家、バーナード・リーチらが心惹かれたのが、大分県の小鹿田(おんた)焼だ。「最も進んだ科学が産むものより、ともかく美しい」と称された民陶の里を訪ねた。

土が「生きているうち」に人が働く

「ごとん、ぎーっ…ごとん、ぎーっ…」

深緑の山里に、土を打つ杵音が響く。大分県日田市。修験道で知られる英彦山(ひこさん)から見て南にある、約300年続く小鹿田焼の里だ。

川沿いに据えた唐臼(からうす)で土をつき、陶土をこしらえる。薪(まき)を登り窯にくべて器を焼く。自然と人が力を合わせ、陶器を作ってきた。

窯元は9軒。坂本工(たくみ)窯では、9代目にあたる坂本創さん(34)が蹴轆轤(けろくろ)を足で回し、棕櫚(しゅろ)のブラシで皿の内側に円を描くように釉薬(ゆうやく)を剥がしていた。窯詰めして焼く際、重ねた皿がくっつくのを防ぐ。実用の器を一度にたくさん焼くためだ。

室内がむわりと暑い。暖かな秋の日に焚かれた薪ストーブ。垂れ込めた雲を眺め、創さんが説明した。「器を乾燥させるためです」。晴れた日は天日に干すという。額に汗。

朝から晩まで、自然のご機嫌をうかがう毎日だ。例えば陶土。冬はたちまち凍り、夏はすぐカチカチに乾く。だから、夏は乾く前の「土が生きている」うちに轆轤を回し、次々と器を作る。「土の都合にあわせて人が働くという感じです」

「民藝」よりもっと前、家族がつなぐ300年

小鹿田焼の起源は江戸時代。筑前(福岡)から小石原焼の陶工を招き、日田の人々が資金や土地を出し合って始めた。黒木家は資金を、坂本家は土地を。以来、小石原焼の技を伝えた柳瀬家と合わせ3家の家族で作り伝えてきた。

世に知られるようになったのは、昭和6年以降。民衆が使う日用品に「民藝」と名を付けた思想家、柳宗悦が訪れ、「半農半陶」で暮らす人々が焼いた器を手に取り、「最も進んだ科学が産むものより、ともかく美しい」と評した。その工芸技術は平成7年、国の重要無形文化財に指定された。

特徴的なのは、白い化粧土をかけた器に刷毛(はけ)をリズミカルに打ち当て紋を描く「打ち刷毛目」や、鉋(かんな)の先を当てて小刻みに削り目を連ねつける「飛び鉋」といった装飾技法だ。

「実は飛び鉋は苦手です。いつまで経っても理想的なのができない」と創さん。湯吞み30個を受注しても、一つずつ手でひいた器は「1ミリ、2ミリ単位で模様の入れ方の塩梅が違い、鉋のかけ方が全く同じ、という訳にいかない」と繊細さを語る。

時代も環境も変化。伝統の「幹」を残すには?

坂本工窯では年3回、皿や茶碗、酒器など何千点を焼き、市場に卸す。

「昔ながら」を継ぐために、小さな変化を繰り返す必要もあった。かつては柱時計のぜんまいを再利用して作った鉋。創さんは園芸用の金属板、8代目の父・工さん(61)は建材のガルバリウム鋼板を、曲げてこしらえる。

取り巻く環境も変わった。「昔は簡単に手に入る廃材を薪として使っていた。今は貴重品って感じですね。製材所から厚意に近い形で分けてもらっていますが、ウッドチップにするほうが収益につながるそうです。地域ぐるみでこの文化を守ろうとしてくれているのを感じます」

釉薬に使われてきた木灰も今は入手が難しい。

「いつまでこの方法で作り続けられるのか。どこをマイナーチェンジしたら生業(なりわい)の『幹』を残せるのか。薪だって、最終的に国から『燃やすな』と言われることだってあるかも」

働く器、使って割れたら「また欲しい」が理想

皿の一枚、壺の一つに、「作り手の人間性は出る」と、工さんは語る。手にしたときに重すぎないか、使いやすい姿形なのか。形の美しさは「使い勝手がよいということと、同義で一緒」だという。

今や安価に工場製の器が手に入り、3Dプリンターによる作陶も可能になった。手作業を貫く小鹿田の民陶はその逆をいく。

「3Dプリンターが何かを器用に作れば作るほど、逆に僕らの手仕事が残ると思う」と創さん。民藝の作り手として何よりうれしいのは、「家庭の食器棚の一番前に作った器が並ぶこと。使って割れたからまた欲しい、と言ってもらえたら、それが一番」

民藝

みんげい 「民衆的工芸」を指す造語で、1925(大正14)年、思想家の柳宗悦が、陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎とともに名付けた。翌年、陶芸家の富本憲吉も加えた4人で「日本民藝美術館設立趣意書」を発表。職人の手仕事から生まれ、民衆が「不断(普段)使い(遣い)」する実用の道具にこそ、自由で健康な美しさがあるとし、その「用の美」を伝える生活文化運動を展開した。民藝の主な品として、無名の職人が代々、各地で自然の恵みを用いながら作ってきた陶器や木工、籠や織物などがある。

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