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西洋美術を超克する「もの派」レジェンド 80歳の彫刻家・小清水漸さんがめざす世界 一聞百見

産経ニュース / 2024年11月1日 14時0分

にこやかにインタビューに答える小清水さん

戦後日本の重要な美術動向「もの派」を代表する美術家の一人、小清水漸(こしみず・すすむ)さん(80)の創作活動を振り返る展覧会が、15日まで兵庫県宝塚市の市立文化芸術センターで開かれていた。半世紀を超える創作をまとめた美しい空間の中で、美術界のレジェンドに聞いた。

展覧会の正式名称は「小清水漸の彫刻 1969~2024・雲のひまの舟」。実は開幕した日、短い時間ではあったが、会場を訪ね、展示されている彫刻作品やドローイングなどに一通り目を通してはいた。

最初の「垂線」は、真鍮(しんちゅう)の分銅をピアノ線でつるしただけの作品。次の間の「表面から表面へ」は、電動のこぎりで直線的な切り込みを入れたり、ピラミッドのような立体を規則正しく刻んだりした材木を無造作に床に置いたシリーズ作品である。

また、小清水さん自身がお気に入りだという「そのあるところのもの」は、木や金属の台の上に石や麻縄を置いただけのものだし、「水浮器」は水を張った信楽焼の器に、木などをバランスよく浮かべたもの。

こう書き並べてみると、なんだかそっけないが、その展示空間はとても静謐(せいひつ)で神聖さのようなものさえ感じられ、作品をじっと見つめているとそこにある「もの」自体が語りかけてくるようにも思えてくる。

例えばそれは、重力によって生まれる線の美しさであったり、あるいは今となっては珍しい木造建築の現場に立ち会っているような懐かしさであったり。

実はそこに、「もの派」というグループの神髄があるのではないか。

1970年代前後、彼らは未加工の自然物質や物体を芸術表現の場に主役として提示し、ときにそれらを組み合わせて作品とすることによって脚光を浴びた。物質(もの)への還元により、新しい芸術を志向した彼らは、日本の固有性を提示した初の美術動向ともいわれている。

その「もの派」誕生のきっかけとなったのは、1968(昭和43)年10月、神戸須磨離宮公園現代彫刻展に関根伸夫が出品した「位相-大地」という作品だった。それは、大地に巨大な円筒形の穴を掘り、その傍らに土を同じ形に固めて配置したトリックアート的なもので、小清水さんも制作に参加していたのである。

再び会場を訪れた日、一つ一つ丁寧に作品の解説をしてくれたあとで、小清水さんは言った。

「70年の大阪万博に向けてテクノロジーがもてはやされた時代に、われわれは疑問を感じていました。そうした精神的反発がもの派の原点です。それまでの美術は欧州や米国からやってきた西洋的なものを受け入れるだけのものでした。しかし、われわれは地面を掘るという行為によって、土の物質性を体感し、土くれだけで作品が成立するということを見いだしました。つまり、穴を掘ってみたら、西洋なんかまるで関係なかったというわけです。それは、これまで自分たちが歴史の中で蓄えてきた言葉や感性によって作品を表現することができる、という発見でもありました」

日本的感性を大切にし、あるがままを肯定することによって、彼らは西洋近代美術を超克する道を切り開いたといってもいい。

「当時は、ベトナム戦争への批判や70年安保など、政治の季節でもありました。でも、もしかしたらわれわれには、どこかに政治という世俗のものと美術表現は次元が違うものであると、きっちりと分けようとする意識があったのかもしれません」

欧州で感じた作家の風土 彫刻科入学、プロの道へ

生まれは、幕末の四賢侯の一人、伊達宗城(むねなり)を輩出した愛媛県の宇和島。中学校ではテニス部に入って白球を追っていた。「部活はバスケかテニスのどっちにしようかと迷ったのですが、中学校の近くに市営テニス場があってボールを打つ音が聞こえてくるものですから。中学校はテニスばかりしていました」

中学3年の夏休み、故郷を離れ、姉と兄が暮らす東京へ。進学先の都立新宿高校で出会った同級生が、後に作曲家となる池辺晋一郎である。「週末になると池辺のところに行って、彼のピアノで歌ばかり歌っていました。カンツォーネや米国のミュージカルソング。でも、音楽は金がかかる。池辺の、週に1回の作曲の個人レッスン料は僕の1カ月の仕送りと同額。それで、美術に行こうと思ったんです。実際、絵を描くのは好きで、学校をサボって家で絵ばかり描いていた時代があったほどなので」

しかし、実際は音楽に現実逃避していたせいか、志望した東京芸術大にはふられてばかり。

「さすがに4年の浪人はまかりならんということで、3年遅れて多摩美(術大)の彫刻科に入ったのですが、彫刻をやりたいわけじゃなかった。彫刻は定員が少ないので、落ちたときの言い訳が立つ、というよこしまな気持ちで受験したら受かってしまった」

それを機に、とにかく、彫刻を真正面に据えてやらないといけないと、音楽からもきれいに足を洗った。そうして先述した関根伸夫の「位相-大地」の制作に加わることになる。

「プロとしてやっていけるのではないか、と思ったのは、翌1969(昭和44)年に京都国立近代美術館で開かれた『現代美術の動向展』に呼ばれて出品した『かみ』という作品が高く評価されたことから。紙袋の中に、大きな石が入っているのですが、これに気をよくしてパリ・ビエンナーレで作品を発表したら外務省の交流基金から1年間、世界を移動し放題のチケットをもらった。それで、パリに行ったあと、半年くらいヨーロッパを飛び回っていました」

指揮者の小澤征爾、建築家の安藤忠雄ら、若い頃に海外を旅し、それを糧に芸術の世界で名を成した人は多いが、小清水さんも同様だった。

「一番強く残っているのは、現代美術をやっている欧州の作家の作品の中に、彼らが自分の生まれ育った社会の歴史や風土を背負いながら制作しているということが見えたこと。新しいものを作るということの中に、歴史や社会が必然としてつながっていくのです」

ひるがえって日本の現代美術を見返したとき、それが欠落していることを改めて感じさせられたのだという。「自分たちの歴史的、社会的な事柄や風土などを何も表現していないということに気付かされたのです」

では、地に足の着いた作品をどう創るのか。小清水さんは73(昭和48)年、東京を離れる決断をした。

板一本、石ころ一つ どう表現 制作意欲衰えず

東京を離れてたどり着いた先は滋賀県の信楽(しがらき)。いわずと知れた焼き物の里である。「宇部(山口県)の野外彫刻展のために、セラミックの作品が作りたいと思って。ちょうどペルシャ(イラン)の青いタイルのような感じのものです」

しかし、焼き物は成形し、乾かしてから焼くという作業がある。「それで、3カ月ほど、信楽の木賃宿に住んでいました」

その後、大阪府池田市に居を構えることに。「同志社大の教授で哲学者の吉田謙二が僕の作品を認めてくれていたのです。彼は日本の現代美術に何が欠けているかという点で、僕と意見が一致した人物なのですが、その吉田は豊中(大阪)に住んでいた。彼がこっちで住むなら北摂がいい、と勧めてくれたのです」

ちょうどその頃、池田市にある逸翁美術館の近くに5階建てのマンションができて、そこに引っ越した。「でも、50年もたつと、ものであふれて手狭になってきた」

そこで、現在住んでいる兵庫県宝塚市のマンションに引っ越した。場所は宝塚歌劇団の本拠、宝塚大劇場のすぐ近く。「もちろん、理由は劇場に通いやすいようにですよ。大学の教員時代はいかに学生に教えないかを考えていた。学生を自分の懐に抱き込むと伸びないからです。宝塚(歌劇)はその大学を退官した頃、娘が『面白いし元気が出るから、一緒に見にいこう』と連れて行かれたのがきっかけ。それまで、宝塚の門がくぐれなくて。男が入っていけないところだ、と思っていましたから」

宝塚デビューが50代に入ってからという筆者にも、タカラヅカに入りづらい気持ちは分かる。

「初めて見たのは60代半ば。星組の『ロミオとジュリエット』でした。トップは柚希礼音(ゆずきれおん)でした。以来、面白くなって、ずっと公演のたびに見ていたら、宝塚歌劇の有料放送などを担当する宝塚クリエイティブアーツから番組審議会の委員にならないかと。半分、冗談だろうと思っていましたが、年に1度は招待されて委員全員で見る機会があるということなので引き受けました」

展覧会を作るのは、今も楽しい。しかし、彫刻家は画家や版画家と比べて体力が必要になる。「身近にいて助けてくれる助手がいれば別ですが。自分一人で(作品を運び入れるために)運送屋とやりとりしたりね。大変なんです」

しかし、木を削ったり、彫ったりする感触を確認しながら、自分の手を通じて作品を仕上げる身体性は、自分だけのもの。「高価な材料はなくても、木の板一本、石ころ一つでどういう表現ができるかをいつも考えています。美術の制作は身近なものでできるのだから」

80歳になった。

「やりたいこともたくさんあるし、やり残したこともたくさんあります。あとは体力との勝負。昔のように作品を作ることに飢えているというような気持ちはありませんが、もう少しやってみたい」(正木利和)

こしみず・すすむ 1944(昭和19)年生まれ。愛媛県出身。多摩美術大彫刻科に進んだ後、「もの派」の中心的なメンバーとして活動。73(同48)年、関西に拠点を移し、大型国際展などにも参加。京都市立芸術大教授、宝塚大学長などを歴任。2004(平成16)年、紫綬褒章受章。

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