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追悼 石工・左野勝司さん 高松塚古墳、春日大社燈籠、モアイ像…石の声を聴き続け

産経ニュース / 2024年9月28日 12時0分

火災の被害を受けたモアイ像を調べる左野勝司さん=昨年6月、チリ領イースター島(左野さん提供)

飛鳥美人など国宝壁画が描かれた高松塚古墳(奈良県明日香村)の石室解体を手掛けた奈良市の石工、左野勝司(さのかつじ)さんが7月29日、81歳で亡くなった。石を丹念に観察し、その状態を的確に把握しながら仕上げる仕事は高く評価され、チリ・イースター島のモアイ像修復に協力するなど海外の石造物の保存にも尽力。まさに「石の声」を聴き続けた人生だった。

「壁画を1300年間支えてきた石が悲鳴を上げている。なんとしても救い出す」

平成19年に行われた高松塚古墳の石室解体。左野さんは重さ1トン前後の石材16個を「コの字形」の鉄製器具ではさんで持ち上げた。わずかな衝撃でも壁画が剝落(はくらく)しかねない。

「石を一つでも落としたら終わり」。機具ではさむ際、最終段階ではボルトの締め具合を自身で確認し、「最後は人のぬくもりのある手で締めること」を徹底した。

解体された石材を修理施設に移すと、暗い石室では見えなかった多数の亀裂が確認された。「石のひび割れを見ると『もう辛抱できません』と石の声が聞こえてくるんや」。壁画に注目が集まる中「石あってこその絵」との思いがあった。

当時の調査を担当した奈良文化財研究所の松村恵司元所長(74)は「職人の勘と経験といわれるが、理にかなったことしかしなかった。石のことを知り尽くした左野さんがいなかったら、石室解体はできなかった」と振り返る。

昭和63年、金銅製冠などが発見された藤ノ木古墳(同県斑鳩町)の石棺の蓋石(重さ推定約1・5トン)のつり上げも左野さんによるものだった。石室と石棺の隙間が20センチしかない中で、鉄骨を組み上げて成功させた。石棺内を調査した前園実知雄(みちお)・奈良芸術短大特任教授(78)は「あんな重い石は上がらないと周囲から言われたが、原寸大の石棺を作って実験を重ねて考え抜いてくれた」と悼んだ。

一方、世界遺産・春日大社(奈良市)に平安時代以降、崇敬者から寄進され、参道に並べられたさまざまな石燈籠についても左野さんの功績は大きい。修理や新たな燈籠の製作を一手に引き受け、大社から名工として「春日大石匠」の名を与えられた唯一の石工だ。元春日大社権宮司で奈良県立大客員教授の岡本彰夫さんは「石燈籠の欠けた部分を継ぐなど、細やかな仕事をしてもらった。まさに頑固一徹で、とにかくいい仕事をされる職人だった」と語る。

左野さんは海外の石造物修復にも尽力。カンボジアの世界遺産・アンコール遺跡群の西トップ寺院では「現地の職人を育てることが大事」と若手を鍛えた。「手に職をつければ生活ができる。僕も小さいときから貧しくてがむしゃらに働いた。頑張れば必ず幸せになれる」と語りかけた。

昨年6月にはイースター島を訪ね、山火事で被害を受けた石造彫刻「モアイ像」を調査した。過去にモアイ像の修復経験のある左野さんは地元市長からの要請を受けて、像の現況を丹念に調査。「歴史遺産を後世に残したいという地元の人らの願いを応援したい」と思いを語っていた。

80歳を超えてなお石の文化に対する情熱を見せた左野さんが亡くなったのは、それからわずか1年後のことだった。

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