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藤原京跡の「九九」木簡は早見表だった 国内最古級、役人が出勤日数など計算か

産経ニュース / 2024年9月4日 17時0分

飛鳥時代に開かれた国内初の本格的な都城、奈良県橿原市の藤原京跡(694~710年)で出土した木簡が、掛け算の「九九」を一覧にした早見表だったことが奈良文化財研究所の調査で分かった。役人が帳簿を作成する際に使ったとみられる。九九の計算式を記した木簡は、藤原京以前に都があった石神遺跡(同県明日香村)など国内で約40点見つかっているが、実務用の早見表としては最古級。律令政治当初の行政システムを知る上で重要な資料という。

木簡は平成13年、宮殿や役所があった藤原宮の南門「朱雀門」から約300メートル南で出土。今回、最新の赤外線調査によって「九々八十一」「四九卅六(さんじゅうろく)」「六八卌八(しじゅうはち)」と縦1列に並ぶのが確認された。

中国から伝わった九九は、現代と異なり「九々八十一」から始まり、早見表は右から左へ「九々八十一」「八九七十二」「七九六十三」と続くのが標準。「八九七十二」と「九八七十二」のように重複する式は片方が省略される。1の段も省略されることがある。

今回の木簡は長さ16センチ、幅1センチ分しか残っていなかったが、「九々八十一」を起点に左に向かって1段につき5つの計算式が書かれたと推定。2段目は「四九卅六」、3段目は「六八卌八」と規則通りに並ぶことから早見表と判断した。

「四九卅六」の部分が見えにくく、発見当時は「四々十六」と解釈。早見表の配列からずれており、役人が九九を覚える練習をした木簡とされてきたが、再調査で「四九卅六」と判明した。

木簡の出土地は、宮殿からの人や物資の出入りをチェックする「衛門府(えもんふ)」関連の施設があったとされ、九九木簡は、衛門府役人の出勤日数などを計算する際に用いられたとも考えられる。木簡を復元すると長さ30センチほどになり、携帯用ではなく机の上に置いたり、壁にかけたりして使ったとみられる。

桑田訓也(くにや)主任研究員は「九九は税の計算や物品管理などに使われ、律令体制が整備された飛鳥時代には不可欠。早見表が確認できた意義は大きい」と話す。研究成果は「奈良文化財研究所紀要2024」に掲載され、同研究所のホームページで5日午前10時以降に閲覧できる。

「九九」の伝来

中国では秦や漢の時代(紀元前3世紀~3世紀)の木簡にみられ、9の段から書き始めたことから「九九」と呼ばれる。日本では7世紀後半以降の木簡で確認されているが、計算間違いの記載も多く、役人の練習用とされる。藤原京以前の石神遺跡で見つかった木簡では、「九々八十一」しか確認されていない。古墳時代(3世紀ごろ~7世紀ごろ)の巨大前方後円墳築造時の設計などにも九九は必要だったとみられ、すでに伝わっていた可能性も指摘されている。

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