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<朝晴れエッセー>オリンピックの追憶

産経ニュース / 2024年8月28日 5時0分

瓜実顔(うりざねがお)の祖母は着物の似合う人だった。赤坂に生まれ、震災や戦争に揺れる昭和の市井を生きたが多くは語らず、晩年も鏡台で椿油を手に身だしなみを整え見返り美人のように座っていた。

1980年梅雨の日、珍しく祖母は私に「レコードの機械、出してちょうだい」と言うと「東京五輪音頭」をかけた。なじみのお囃子に「オリンピックの顔と顔」、「4年たったらまた会いましょ」の歌詞。聞き流す私に、祖母は「オリンピック、出たことあるのよ」とささやき、桐箪笥から白地に模様の入った浴衣を出した。「これを着て、町内会の女の人たちと開会式前日に後楽園で五輪音頭を踊ったの。中止を経ての開催だったし、みんなで練習してこれで盛り上げて日本は勝つんだって。楽しかったの」。ナフタリンの匂いの中、祖母は私の手を取り「教えてあげる」と芍薬(しゃくやく)のような姿で「チョチョンがチョン」と手を打った。日頃静かな祖母からの手ほどきがうれしくて私は何度も踊った。汗を流して喜ぶ横で、テレビからモスクワ大会ボイコットのニュースが流れていた。

2回目の東京大会からバトンを受けたパリ大会も華やかだった。盆踊りの人いきれではなく、パルクールの個性が街を盛り上げ、形は違えど、街を愛する普遍さが画面に映し出されていた。

齋藤直美(53) 東京都港区

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