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世論を神に祭り上げる石破首相 江戸の敵を長崎で討つかのごとき復讐劇 モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら(187)

産経ニュース / 2024年10月12日 11時0分

初閣議を終え、石破茂首相(前列中央)と記念撮影に臨む新閣僚ら=1日午後、首相官邸(鴨川一也撮影)

安倍元首相に執拗に抗う

本コラムの33回目に「人には向き不向きがある」と題して、石破茂さん(現首相)について書いたことがあった。6年前のことだ。

ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーが『仕事としての学問 仕事としての政治』(野口雅弘訳、講談社学術文庫)で論じた、政治家に求められる3つの資質を紹介したうえで、《この国には、解決策が必要だ。「次期総理候補No.1」からの直言!》との言葉が帯に躍る石破さんの著書『政策至上主義』(新潮新書)を読み解きながら、石破さんが総理の器かどうかを述べたものだ。

ちなみにウェーバーのいう3つの資質とは「情熱」と「責任感」、そして冷静にモノと人との距離をはかる「目測能力」であり、その3つをひとつの魂の中でまとめ上げることのできない者は、政治家として不適格であると彼は断じる。

同書のなかで、もっとも心に刺さったのが、「暴力の宗教社会学」という小見出しが付けられた部分にある次の一節だ。

《善からは善だけが、悪からは悪だけが出てくるというのは、政治に関わる者の行為にとって真実ではなく、むしろしばしばその反対が真実だということ。(中略)こんなこともわからない人は、政治的にはお子さまにすぎません》

松平定信による寛政の改革への庶民の不満を表現した江戸時代の狂歌「白河の清きに魚も棲(す)みかねてもとの濁りの田沼恋しき」を連想させる言葉だ。政治家には「清濁併せのむ」器量が求められるのだ。ウェーバーの言葉にうなずき、次いで石破さんの著書を読み、私はこう結論付けた。

《本書で石破さんが伝えようとしているのは、自分がいかに誠実な政治家であるかということ、それに尽きる。それが事実だとしても、否、それが事実なら、総理の座を狙うより、参院にくら替えして直言居士となるか、地方創生担当相として地方行脚をしながら国民とじっくり意見を交わし、地方創生の現実的なアイデアを生み出し実現することに政治生命をかけた方がよい。その方が国に貢献できるはずだ》

安倍晋三元首相が唱えた「戦後レジームからの脱却」に執拗(しつよう)に抗(あらが)おうとするかのような、たとえば、大東亜戦争、南京事件、慰安婦などをめぐるリベラル派のごとき歴史観や、靖国神社への態度、さらには味方を背後から撃つかのようなこれまたリベラルな政治評論家のような発言に、私自身が強い不信感を抱いていたこともあって、こんな物言いになった。岩盤保守層以外の国民やリベラル系のメディアを味方につけようと躍起になっている石破さんの能力は、イデオロギーにさほど左右されないポジションでこそ生かすべきだと考えたのだ。

どんよりとした組閣記念写真

その石破さんが5度目の挑戦で自民党総裁となり、首相の座に就いた。自民党派閥の政治資金パーティー収入不記載事件がきっかけとなり、次期総選挙で「ダーティー自民」の印象を少しでも払拭しなければ戦えないという自民党議員の危機感、さらには旧安倍派による支配に不満を募らせていた旧岸田派を中心とした党内リベラル派の思惑が石破首相を誕生させたといえる。誠実そうでクリーンなイメージが売りの石破さんにとって、不記載事件は千載一遇の追い風となったのだ。

ところがである、組閣の記念写真を見て、クリーンさとは縁遠い不気味な何かを感じてしまった。通常は船出にふさわしい晴れやかなオーラが感じられるものだが、石破内閣の写真にはそれがいっさいなく、ただただひたすらにどんよりしているのだ。

それから1週間もたたないうちに「不気味な何か」の正体が明らかになる。石破首相は6日、4月に不記載事件で党処分を受けた一部議員を次期衆院選で非公認とし、加えて不記載のあった議員は小選挙区と比例代表の重複立候補を認めない方針を表明したのだ。

産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が5、6両日に実施した合同世論調査で、不記載議員を「公認すべきではない」が47・4%にのぼった。当初は不記載議員であっても「原則公認」「比例重複も可」などと報じられていたが、47・4%という高い数字にも示された国民の反応に勇気づけられた石破首相は、党内融和をかなぐり捨て、一気に反対方向にかじを切ったようにみえる。

これに異議を唱えようものなら「盗人たけだけしい」と国民の非難を浴びるのは目に見えている。党の方針を受けて「自分自身は退路を断って、国民の信頼を取り戻すべきだという気持ちはある。厳しいが頑張っていきたい」と語った稲田朋美元防衛相のように、対象となった議員は黙って方針に従うしかない。

ある昭和歌謡が頭の中に響く。「ウララ~ウララ~」。山本リンダさんのヒット曲「狙いうち」だ。標的は言うまでもなく、石破首相をこれまで蔑(ないがし)ろにしてきた旧安倍派だ。不記載議員に対する国民の怒りをうまく利用して、江戸の敵(かたき)を長崎で討つかのごとき復讐(ふくしゅう)劇である。

石破首相は世論を神に祭り上げ、神の代弁者、すなわち正義の味方として敵対勢力に「宗教戦争」を仕掛けている。私にはそう映る。山本夏彦さんの名言を思い出す。確かこんな内容だった。「汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼすのである」

総選挙敗北なら「自民党分裂も」

さて、世論を味方につけたこの「英断」によって、次期総選挙で自民党が現状を維持できると石破首相が考えているとは思えない。「単独過半数割れ」ともなれば派閥による統制が失われた自民党内は怨嗟(えんさ)のるつぼと化し、壮絶な内紛が勃発するのは間違いない。

ジャーナリストの長谷川幸洋さんは自身のユーチューブ番組で、「旧安倍派憎しの自爆テロ」と指摘する。これによって自民党が分裂する可能性は十分にあり、それこそが日本再生のきっかけになるのでは、と期待を寄せる。果たして…。

最後にモンテーニュの言葉を石破首相に紹介しておきたい。第2巻第17章「自惚(うぬぼ)れについて」(関根秀雄訳)にあるものだ。

《どんな制度でも、これを不完全だととがめることは、はなはだやさしい。まったくこの世のものはすべて不完全にみちみちている。一国民にその古来の習慣を軽蔑させることも、またはなはだやさしい》

政治家にとって改革を唱えることほど容易なことはない。もっとも困難なことは維持・保持することだ。

モンテーニュは続ける。

《だがその打ち倒した状態をより良い状態にかえるということになると、たくさんの人々がこれを企てたがどうにも手のうちようがなかったのである》

「自爆テロ」なら不要だろうが…。(桑原聡)

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