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「楽しい日本」はどこへゆく 石破首相は保守思想とは無縁の人物と断じざるを得ない モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら(195)

産経ニュース / 2025年2月1日 11時0分

第217通常国会が召集され、衆院本会議で施政方針演説を行う石破茂首相=1月24日午後、衆院本会議場(春名中撮影)

書を捨てよ町へ出よう

産経ニュースが27日に配信した「政界徒然草」を興味深く読んだ。筆者は政治部の末崎慎太郎記者。「楽しい日本」というキャッチフレーズが物議をかもした石破茂首相の施政方針演説を受けて書かれたもので、見出しは《読書家宰相・石破首相は年末年始に何を読んだのか 「研究者じゃないんだから…」の声も》。

《首相にとって書物はアイデアの源泉のようだ》と書き始め、石破首相がどのような本を好んで読んでいるかを紹介する。過去の取材では、お気に入りの作品として三島由紀夫さんの遺著である長編小説『豊饒(ほうじょう)の海』を挙げたという。そして「楽しい日本」というキャッチフレーズは、経済企画庁長官を務めた作家、堺屋太一さんの『三度目の日本 幕末、敗戦、平成を越えて』からの引用であることを指摘する。着地はこうだ。

《党内基盤が弱い首相が長期政権を目指す場合、会食など同僚議員とのコミュニケーション強化は欠かせない。国民の暮らしぶりを肌で感じるためにも、書を置き街に出る機会を増やすことが必要になりそうだ》

末崎記者の脳裏には寺山修司さんが書いたエッセーのタイトル『書を捨てよ、町へ出よう』があったに違いない、そう思うと同時に私の連想癖が起動した。

このタイトルは、ノーベル文学賞を受けたフランスの作家、アンドレ・ジッド(1869~1951年)の『地の糧』に触発されたものだ。北アフリカ旅行から帰国した20代後半、まばゆいばかりの体験の記憶をもとに書かれた青春の書ともいうべき哲学的散文詩である。

観念的な世界に閉じ籠もり、カトリックの禁欲的戒律に縛られていたジッドはこの旅で欲望を解放する喜びを味わう。そうしてペンを執った『地の糧』において、架空の青年ナタナエルにこう語りかける。

《それから、君はすっかり読んでしまったら、この本を捨ててくれ給(たま)え-そして外へ出給え。私はこの本が君に出かけたいという望みを起さしてくれるように願っている。どこからでもかまわない、君の街から、君の家庭から、君の書斎から、君の思想から出てゆくことだ》

《ナタナエル、なべての書物を、いつの日に焼きつくそうぞ!!/浜の真砂(まさご)は心地よいと読むだけでは私は満足しない。私は素足でそれを感じたいのだ。……まず感覚をとおして得た知識でなければ私には知識とは無用のものなのだ》

65歳になったのを機に田舎町に完全移住し、取材をすることもなく、故人となった人々の書物(いわゆる古典)を読みながらこのコラムを書いている私にとって、これほど耳の痛い言葉はない。かつてはコラムニストの山本夏彦さんにあやかって「半分死んだ人」を自任していたが、いまでは「9割方死んだ人」だ。ただそんな人間だからこそ、見えてくるものもあるはず、と開き直っているのも確かである。

私が『地の糧』を読んだのは50歳を過ぎてからだった。雑誌「正論」の編集に携わっていたころ、石原慎太郎さんが、青春時代にもっとも強烈な影響を与えてくれた書物が『地の糧』だった、と口にするのを耳にしたからだ。それならば、と手に取ったのだが、遅きに失した。書物には読むべき季節がある。

《行為の善悪を<判断>せずに行為しなければならぬ。善か悪か懸念せずに愛すること。/ナタナエル、君に情熱を教えよう。/平和な日を送るよりは、悲痛な日を送ることだ。(中略)私の心中で待ち望んでいたものをことごとくこの世で表現した上で、満足して-或(ある)いは全く絶望しきって死にたいものだ》

若き日の石原さんはこの部分に衝撃を受け、自分の感性だけを信じてその赴くままに生きてきた、と述懐していた。いかにも行動する作家・政治家だった石原さんらしい。

長い余談になってしまった。軌道修正しよう。

三島に触れない演説に失望

モンテーニュは第1巻第39章「孤独について」で、家族も財産も健康も大切だが、真の幸福はそれらに執着することでは得られないと述べ、こんな考えを開陳している。

《そのためには、完全に自分自身の、まったく自由な店裏(たなうら)の部屋を一つ取っておいて、そこに自分の真の自由と唯一の隠遁(いんとん)と孤独を打ち樹(た)てることができるようにしなければならない。その部屋で常にわれわれ自身と話し合い、外からの交際が一切はいってこないような私的な話をしなければならない》(原二郎訳)

私はこの言葉に背中を押されて隠棲(いんせい)を始めた。そんな私の目には、交わりを絶って読書に勤(いそ)しむ石破首相の姿はむしろ好ましく映っていた。孤独のなかで本と対話し、自分自身と対話し、考えを深めてゆく。人間には得手不得手がある。交際や対話で考えを深める人もいればそうでない人もいる。石破首相は孤独な読書こそが、もっとも自分に合っていると感じているのだろう、そう好意的に解釈していた。残念ながら、施政方針演説は淡い期待を完全に裏切るものだった。

「楽しい日本」は、堺屋さんの『三度目の日本』のコピー&ペースト、「地方創生」は、石破首相が師と仰ぐ田中角栄元首相の『日本列島改造論』の焼き直しであり、書物との対話によって石破首相が格闘し自らの考えを深めた痕跡がまったく感じられなかった。単に現状に合わせただけ。

極め付きは、「今年は戦後80年、そして昭和の元号で100年に当たる節目の年です。これまでの日本の歩みを振り返り、これからの新しい日本を考える年にしてまいります。そのためには、わが国の直面する現実を直視しなければなりません」と始めた演説で、三島さんの『豊饒の海』が愛読書であると口にしていたにもかかわらず、三島生誕100年の年であるにもかかわらず、いっさい触れることがなかったことだ。

三島事件が起こった昭和45年、石破首相は中学2年生。そのおよそ半世紀後、愛読書は『豊饒の海』と答えている。本当にこの作品に心を震わせたのだろうか。節目の年の施政方針演説で、三島さんに思いをはせることなく、口にしたのが「楽しい日本」とは…。石破首相にとっての読書とは、アイデアを拝借するためのものであり、考えを深めるものではないようだ。

ことここに至っては、こう断じざるを得ない。石破首相は保守思想とは無縁の人物であり、この人物を総裁に選んだ自民党ももはや保守政党ではない、と。悲しいけれどこれが日本の現実だ。「楽しい日本」はどこへ向かうのだろう。

最後にお願いを書いておく。将来に禍根を残さないためにも、「戦後80年談話」など絶対に出さないでほしい。(桑原聡)

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