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評伝・新川和江さん 台所で書いた「生活密接」の作品 詩を愛する人々を励まし続けた生涯

産経ニュース / 2024年8月20日 11時13分

新川和江さん

戦後を代表する女性詩人として活躍した新川和江さんが10日、95歳で亡くなった。詩人への道を歩み始めるきっかけは、茨城県立結城高等女学校時代、東京から隣町(現在の下館市)に疎開してきた詩人・西條八十との出会いだった。週に1度、詩作ノートを抱えて西条の書斎に通って添削を受け、ランボー、ベルレーヌ、バレリーなど西欧の詩人たちの作品にも親しんだ。

結婚後、東京へ。好きなことを生涯やり続けるには、女性も経済的自立が必要と考え、西條の紹介で少女雑誌や学習雑誌に物語や子供のための詩を書き始める。詩を書くのは夫が寝た後。人が働いているときに、お金にならない仕事をするのは申し訳ないという気持ちからだった。

そうして蓄えたお金で、24歳で第1詩集「睡り椅子」(昭和28年刊)を出版。後記に、「人間にとって最もたいせつな『生活』と、密接につながることによって、はじめて私の詩は意味をもつ」と書いている。その姿勢は生涯にわたり変わらなかった。原稿を書くのは、書斎ではなく台所。改まって原稿用紙に向かうより、手近な紙の裏を使うことが多かった。

「解説なしでも読んでくださる方に通じるよう表現を工夫してきた」という通り、豊かな女性性に根ざした親しみやすい言葉の響きは、多くの人の共感を呼んだ。特に中学教科書にも掲載された「わたしを束ねないで」は、新川さんの代表作として広く知られる。同作をはじめ、作曲されて合唱曲として歌われている作品も多い。

女性で初の日本現代詩人会会長に就任した昭和58年には、吉原幸子さんとともに女性季刊詩誌「現代詩ラ・メール」を創刊。女性詩人の発表の場をつくるためという目的を達成し、当初の予定通り10年間で終刊した。

36年間にわたって選者を務めた産経新聞「朝の詩」については、「一部の特別な才能を持った人たちが書くものと思われていた詩が、万人のものになった」とその意義を語り、生涯の仕事として打ち込んだ。

また、出身地の茨城県結城市のゆうき図書館の開館に合わせて蔵書約1万冊を寄贈し、名誉館長を務めた。同市では、新川さんの名前を冠した青少年向け詩のコンクールを毎年開催している。

「〝詩人〟というのは、はたからつけてくれる一種の尊称で、職業名ではない」と話していた新川さん。生活者であることを何より優先し、詩を愛する人々を励まし続けた生涯だった。

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