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「天守閣あった」も設計図がない福岡、エレベーター設置で混乱の名古屋 城の復元に高い壁

産経ニュース / 2025年1月3日 11時0分

佐藤正彦・九州産業大名誉教授が監修した福岡城のCG復元図(福岡城の復元的整備を考える懇談会提供)

住民の心のよりどころや観光資源として、城が持つ意味合いは大きい。だが、全国で建造当初のまま天守閣が残っているのは12城だけ。街のシンボルとして復元や整備が進められる例は後を絶たないが、実現に向けて乗り越えるべき壁は高い。櫓や石垣、天守台などが残されている福岡城は、そもそも天守閣が存在したのか否かが議論の対象となってきた。だが、専門家が「あった」と結論付け、今月中にも福岡市に整備を促す報告書を提出する。一方、戦後、コンクリート造りで復興された名古屋城天守閣は、改めて木造での復元を目指しているものの滞ったままだ。

福岡城を巡っては、福岡商工会議所が音頭を取り、昨年3月に「福岡城天守の復元的整備を考える懇談会」が発足した。背景には「市民の福岡城への関心の低さは天守閣がないことではないか」という危惧があった。

福岡城は慶長5(1600)年の関ケ原の戦いの後、入封した黒田長政が約7年かけて築城した。全国で7番目となる石高50万石(後に52万石)の大藩にふさわしい九州随一の城とされる。

だが、長きにわたって残されていた謎が、公式ホームページにも記載されている通り「天守閣の存在は定かではない」ことだった。文化庁の指針によると、城の復元は「廃城時の姿」が基本。存在が明らかではない天守閣を復元することはできない。

懇談会は6回にわたり議論を重ね、長政が記した天守閣修繕を指示する書状や、他藩の密偵が描いた絵図から、存在を裏付けた。資料が少ないのは、天守閣が17年という短期間しか存在せず、藩内に「黒田騒動」として知られる御家騒動が起こったことで秘密主義になったためと結論付けた。

市も調査を開始。昨年12月には「天守を建てた」と記載した江戸時代の書状を発見したと発表した。

懇談会は天守台の礎石や石垣の配置、組み方などをもとにCGを作成。石高に比例して天守閣の規模が決まることから、姫路城(兵庫)を参考にしたり、城内にある多聞櫓が黒であることから外観を黒にしたりした。

ただ、それも推測の域は脱していない。予算や市民の理解もさることながら、現状では文化庁が示す復元の指針である「廃城時の姿」は、はっきりしない。文化庁とやりとりをした関係者は「指図(設計図)や外見写真などが必要という文化庁の姿勢がうかがえた」と明かす。

同様に天守閣の復元を目指す高松城は懸賞金をかけて内部資料の提供を求めたが、城の設計図は軍事機密であり、ほぼ現存していないのが実情だという。

逆に多くの資料がありながら、復元が思うように進まないのが名古屋城だ。天守閣は昭和20年、米軍の空襲により焼失。それまでに百科事典や実測図、さらにガラス乾板写真など多くの資料があり、福岡城が抱えるような悩みはない。

名古屋城が抱える問題は、目指しているのが内部も忠実に再現した「木造復元天守」であることだ。河村たかし前名古屋市長の肝いりだが、石垣の保存で計画が停滞。さらに障害者や高齢者用のエレベーターを設置するかを巡り、討論会で「差別発言」があったことから、調査と並行して審議が続き、着工には至っていない。

現在の天守閣は昭和29年にコンクリート造りで再建されたものだが、耐震性の問題から平成30年5月に閉鎖された。それから既に7年弱。「尾張名古屋は城でもつ」と言われる土地柄だけに、早期に結論を出したいところだろう。

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