「一人前でなくなった…」脳出血、半身不随で落ちた歯ブラシも拾えない 惨めさからの回復 脳卒中サバイバー記者
産経ニュース / 2025年2月3日 8時0分
令和元年12月の勤務中、脳出血を起こして救急搬送されたぼくは、職場の近くの病院に入院していた。入院して2週間目ぐらいだろうか。突然、病院側から回復期病院への転院を促された。「いつまでも入院できないんです。どうされますか」と問われて戸惑った。
当時、やっと車いすで移動できるようになったところ。自分では、搬送先の病院に当分入院すると思いこんでいた。そのときは「分かりません」としか答えようがなかった。
脳卒中などにかかった後、最初は病気の治療とともに急性期のリハビリが行われる。だが、その時期を脱すると、回復期病院と呼ばれる専門の医療機関でリハビリを行うことが効果的だとされる。
こうした仕組みを今ではある程度、理解しているが、当時は基礎知識も情報もなかった。頼りになったのは、先輩記者や同僚記者。近隣の回復期病院の評判を調べてくれ、病院のリハビリの方針や自宅からの距離などを勘案し、転院先の候補病院をピックアップしてくれた。
候補にあがった病院に家族が下見に行き、転院先を決めた。決め手は「土日も休みにせず、リハビリを続けている病院」と聞いたことだ。毎日リハビリをしてくれる病院の方が熱心なのではないかと考えたのだ。
転院の際は、久しぶりに病院を出て外の空気を吸った。移動の最中、高速道路から見える街並みがまぶしかった。
親世代と懐メロ歌い
山あいのリハビリ病院に転院したのは令和2年1月20日。その後、半年近くもお世話になるとは思ってもみなかったが、医療スタッフのみなさんには本当によくしていただいた。同じ病棟には脳卒中患者が多く40代のぼくは最若手だった。70代、80代の脳卒中患者が多かったと思う。
病院では、同じフロアの患者は毎朝、デイルームと呼ばれるスペースに集められ、体操するのが日課だった。「これもリハビリの一環」と思って欠かさず参加することにした。体操のあと、患者みんなでかつての流行歌や童謡などを歌う。
その選曲が渋い。1960年代のヒット曲、坂本九さんの「上を向いて歩こう」や、舟木一夫さんの「高校三年生」などだ。あらためて自分の親と同世代の人たちと一緒にいるのだということを実感する。
朝の体操のお世話をしてくれていた若い医療スタッフさんたちは、それらが往年のヒット曲とは知らない様子だった。おじいさん患者が、たどたどしい声で「九ちゃんは飛行機の事故で亡くなったよ」と若いスタッフに話しかけていたが、ピンときていないようだった。
横から、坂本九さんは昭和60年8月の日航機墜落事故で亡くなった、と解説すると、若いスタッフは「そうだったんですか。初めて知りました」と驚いていた。
入院患者のなかには「(昭和20年8月の)玉音放送を聞いた」と話す90代のおばあさんもいた。雑談していたら「大変な人生だったけど、家族も友人もみんな死んでしまった」という。このおばあさん、近くの患者をつかまえては「嫁が、姑が」と家族とのエピソードを話していたが、みんな亡くなった人の話だったようだ。「退院したらどうするんですか」と聞いてみたが「あとは死ぬだけだよ」と遠くを見ながらつぶやく姿が印象的だった。
ささやかな尊厳
構音障害があり、うまく発声できていなかったので、歌うのも大事なリハビリとは思っていた。だが、内心では「どうして毎朝、病院で懐メロをうたうことになってしまったのだろうか」とみじめに思う気持ちもあった。
半身不随の車いす。当初は、一人で着替えることも、一人でトイレに行くこともできなかった。歯ブラシを落としても簡単には拾えない。それまで当たり前のようにできていたことを人に頼らないとできなくなり、「一人前でなくなった」という気分だった。
そうしたとき、救いになったのは、医療スタッフや周囲の患者のみなさんがぼくを「一人の社会人」として接してくれたことだ。
ぼくの職業が新聞記者と知って、患者さんや医療スタッフのみなさんが、暇つぶしにニュースについて話を聞きに来てくれたりした。
「住んでいる町で何が起きているのかはテレビやネットのニュースだけでは分からない。いつも新聞の地域ニュースを読んでいますよ」と声をかけてくれた患者さんもいた。地方ニュースを発信する仕事に関わっていただけに、本当にうれしかった。
「病人」ではあるのだが「一人の社会人」として振る舞える瞬間があったことで、ささやかな尊厳が守られた。
病気以外の話をしているときの方が、気がまぎれた。患者仲間と話をしていくと、それぞれに豊かな背景があった。元タクシー運転手や元消防士、自営業、主婦…。患者であると同時に、みなそれぞれの暮らしがある。
病院での入院生活が長引くにつれ、世間から隔離されているような思いになり、ときには自分は社会のお荷物となってしまったのではないか、といった気分になったこともある。
だが、医療スタッフのみなさんや患者仲間と接するうちに、こうした考えはあらためることにした。周囲の患者仲間のみなさんは淡々と、黙々と、自分のペースでリハビリを続けており、自分も頑張ろうと刺激になった。
ぼくの場合、こうした周囲とのかかわりが、回復の原動力になった。
◇
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河居貴司(かわい・たかし)
WEB編集室長兼新聞教育編集室長。平成9年産経新聞入社。和歌山、浜松支局を経て社会部。関西の事件や行政などを担当してきた。京都総局次長、社会部次長を経て現職。46歳で脳出血を発症したがその後、復職。リハビリを続けながら働いている。この連載では、病気の発症や入院生活などについてつづっている。
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