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元不登校の漫画家が見た「山奥ニート」 ゆるくつながる共同生活「頑張りすぎなくていい」

産経ニュース / 2024年9月21日 11時0分

共生舎のキッチンとリビングの様子=棚園正一さん提供

わずかな収入で和歌山の山奥で共同生活を送る「山奥ニート」たち―。その意外な暮らしぶりをつづった人気エッセーを、不登校経験者の漫画家、棚園正一さんがコミカライズした新刊「マンガ『山奥ニート』やってます。」(光文社)が刊行された。棚園さんは和歌山まで足を運び、山奥ニート生活を経験。「自分探しをする人たちのためのプラットフォームのようなもの」と感じたという。

人気エッセーを漫画化

ニートとは、主に求職中の人をのぞく、15~34歳までの就学・就労・職業訓練を受けていない人を指す。

原作者の石井あらたさん(36)は、ひきこもりだったとき、友人の「ジョーくん」に誘われ、平成26年、NPO法人「共生舎」の支援で和歌山の山奥に移住。しかし、移住3日後にNPOの代表が亡くなり、自主運営を始めることに。家賃は0円、食費や光熱費を住人から集め、共同生活を送った。自らを「山奥ニート」と称し、令和2年に共同生活についてのエッセー『「山奥ニート』やってます。」を出版、話題を呼んだ。

山奥ニートの漫画化を以前から希望していた棚園さん。「いろんな生き方がある」をテーマに、石井さんと話し合い、複数の人のエピソードをまとめるなどして再構成して漫画化。石井さんの半生に加え、小説家志望で山奥に来た男性や、ひきこもりの息子を預かってほしいと見学に来た母親など、山奥ニートと周囲の人たちのありのままの姿を淡々と描いた。

「仕事しすぎ」と注意され

棚園さんは2回にわたり共生舎を取材。駅からタクシーで1時間半以上かけてたどり着いたのは「想像以上の山奥」で驚いたという。「見渡す限り緑で、最寄りのコンビニまで車で1時間半。散歩しようとしても、山って道がなくて歩きづらかった」と振り返る。

取材時は2回とも10日間滞在。当時は20代~40代が15人ほど住んでいたという。住人と一緒に軽トラックで買い出しに行ったり、バーベキューをしたり。近所迷惑を考える必要がないため深夜に窓を全開にしてカラオケをしたことも。

同じ空間にいても、話す気分でなければ無言でいてもいいという雰囲気があった。「昔通っていたフリースクールに似ていました。話をしていても誰かを否定することはなく、受け入れる姿勢がある。その上で、必要以上に干渉もしてこない。そんな雰囲気が過ごしやすかったですね」。一定の距離感が保たれているので、住民同士、相手のことを深く知ることもなさそうだったという。「僕が話を聞いて初めて他の住人が、『あの人にそんな過去があったんだ』と知ることも多かったですね」。踏み込みすぎない、ゆるいつながりの共同生活が独特の居心地の良さを生み出していたようだ。

自由に過ごす住民たち。ある日、棚園さんがノートパソコンで作業をしていたら、住民の1人から、「こんなとこ来てまで仕事しすぎですよ」と言われたことも。棚園さんは、山奥生活で時間に追われる生活がリセットできた一方で、6日目には帰りたくなったという。「人と会って話したり、いろいろなところに行ったりしたいから、今の自分には山奥ニートは難しい。不登校だった10代の自分だったら住めました」と語る。

住民のなかには、疲れて電池切れのような状態で来る人や何もせず過ごす人もいるが、時間がたつと、何かしら動き出すという。

ハチミツの作り方や農業の勉強をしたり、作ったものをネットで売り始めたり。農家を手伝いに行ってお金を稼いだり。その様子を見て、「人間には、何か『役割』を持ちたい欲望ってある」と感じた。

交流のある近隣住民も取材したが、「若い人が近くにいるだけでうれしいようです。お祭りや宴会に参加してくれるだけで、『また来年もやろうかな』って思えるそうです」。

当初は石井さんの本のタイトルから、「ニートが限界集落を再生する話」を想像していたが、「ただそこにいるだけ。でもそれがよかったと思う。何かを変えようとしたら軋轢(あつれき)が生まれていたんじゃないかな」。

長い人生の物語の1つ

石井さんは本書のあとがきで、山奥ニートを「人生の心の保険」と表現した。棚園さんも、「疲れた時にはこういう場所も必要。頑張りすぎなくていいし、生きていくのは何とかなるんだと思える。気持ちが軽くなりました」。

滞在期間も、山を去るタイミングも人それぞれ。石井さんも今年2月に山奥ニートをやめた。「山奥ニートは、その人の長い人生の中の物語の1つ」であり、「自分探しのプラットフォームのよう」だと感じた。

「モデリングの仕事に夢中になり、山奥でなくても過ごせるようになった人もいれば、地元に戻って就職活動をする人もいます。いろいろな生き方があって、それに上下はない。自分の気持ちに向き合って進めば、認めてくれる人が必ず現れるし、自分の道は続いていくと思えました」

鳥山先生も読んでくれた

棚園さんは、『ドラゴンボール』で知られる鳥山明さんと幼少期から交流してきたが、本作全17話のうち4話までは、鳥山さんも読んで率直な感想をくれたという。

今年3月の訃報からしばらく落ち込んでいたが、「鳥山先生の奥さまと話す機会がありました。『棚橋くんも彼にとって忘れられない1人だから』という言葉をいただけて、気持が救われました」。

不登校だった13歳で出会ってからの交流の日々。学校に行けずに苦しむ棚園さんを、ありのまま受け入れてくれた鳥山さん。個人の生き方を尊重する棚園さんの作風にも影響を与えているのだろう。「僕が仕事を続けたら、きっと鳥山先生は『がんばっているね』って言ってくれるはず」(油原聡子)

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