ビブリオエッセー月間賞 7・8月は『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ―若き医師が死の直前まで綴った愛の手記』 神戸市北区の荒木風夏さん
産経ニュース / 2024年9月30日 14時0分
本にまつわるエッセーを募集し、夕刊1面とWEBサイト「産経新聞」などで掲載してきた「ビブリオエッセー」。平成31年4月にスタートして約5年半、皆さんのとっておきの一冊について、思い出などとともにつづっていただき、本の魅力や読書の喜びをお伝えしてきました。最後となる今回、7・8月の月間賞は神戸市北区の荒木風夏さん(19)の『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ―若き医師が死の直前まで綴(つづ)った愛の手記』に決まりました。丸善ジュンク堂書店のご協力で図書カード(1万円分)を進呈し、プロの書店員と書評家による選考会の様子をご紹介します。
■「どんな本を選ぶのかも重要」(福嶋さん)、「模範すぎぬ素直な文に感銘」(江南さん)
――さて、最後の月間賞選考会。多くの応募がありました
江南 10代から年配の方まで、また多彩なジャンルの本が紹介されていて理想としてきた姿だと思いました。私自身、ここで知って買った本は何十冊とあり、書く人、読む人、そして私たちも含めた交流の場だったなと実感するところです。
福嶋 今回は特に粒ぞろいです。本と人、人と人のさまざまなつながりを感じさせるエッセーが多かった。当初は本について詳しく書かないといけないと思っていた方も、自分が本とどう付き合ってきたのか、その思いを正直に書けばいいと思ってくださるようになったのがよかった。本屋という仕事柄、僕もまたそういう気持ちを大事にしないといけないなと思いました。
――個別では
福嶋 『DRY』がよかったなあ。特に「ひぇ~ってなったよ」という出だし。
江南 「ひぇ~」はいろいろな感情に使える表現で、ここでは怖いことなんですが、単に「怖かった」と書くのとは全然違う。読者に何だろうと思わせる力があります。達者ですね。
福嶋 上手にまとめていて、かつ書きすぎていない。少しだけ自分のことも書いていて、それが効いていました。『毎日が最後の晩餐―玉村流レシピ&エッセイ』も書き出しが効いている。兄や姉も皆「前期高齢者で食いしん坊である」と。
江南 気楽さがチャーミングな文面です。一方で重めの『シベリア俘虜記』もすばらしかった。
福嶋 どんな本かということだけでなく、抑留された筆者のお父さんのこともよくわかる。恐れ入りましたという感じです。
江南 いわゆるエモさがあって、若い世代には書けないエッセーです。戦争体験のある人が減るなか、かつての記録を読むことで体験化していくプロセスが詰まっている。それも本の役目です。
福嶋 『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ―若き医師が死の直前まで綴った愛の手記』は僕が本屋の仕事を始めた頃からあった本。それを若い人が選んで書いてくれました。この本は書き残しておくことの大切さを感じてすごいなあと思いました。
江南 模範解答的すぎない素直な書きぶりに、ぐっと来ますね。19歳の若者が自分の生まれるはるか前の本を選び、きちんと読んで文章化してくれた。ビブリオエッセーのひとつの理想のかたちでした。
福嶋 『バリ山行』は「バリエーションルート(バリ)」という発想が好きです。僕も皆が歩いている道を歩かないから(笑)。
江南 今年7月に芥川賞をとった松永K三蔵さんの小説です。新しい本を読み、高い水準で書く瞬発力に恐れ入りました。
――実はその松永さんがX(旧ツイッター)で「すごいハイレベル」とほめてくれていました
福嶋 『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』は本もいいしエッセーとしてもいい出来でした。
江南 難しいけれど、『飛鳥へ―』はいかがでしょう。常連の方々のも魅力的ですが。
福嶋 どんな本を選ぶのかも重要です。自殺の問題など著者の思いを具体的に取り上げている点もいいと思いました。
――では『飛鳥へ―』で。最後に5年5カ月の連載を通じての感想を
江南 楽しかったの一言です。自分の世界を広げてもらいました。本は、人類がよりよく生き、賢くなるために蓄積される集合知であると実感しました。古い刊行物も誰かがそれを掘り起こして紹介することで、命を吹き返す。今後もこのサイクルに携わりたいです。
福嶋 多くの人が手をかけて生まれた一冊の本が、長い時間をかけ、さまざまな読者の手を伝わって旅を続けていくのだなあと思いました。本は残る、そして新たに命を得る。そんなことを実感しました。
――ありがとうございました
◇
<作品再掲>『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ ―若き医師が死の直前まで綴った愛の手記』井村和清著(祥伝社黄金文庫)
■託された大切な言葉
印象に残ったのは「自殺について」という一文だった。井村和清医師はこう書いている。
「自殺をする人間は弱い人間、とよく言われます。しかし、私はそうは思わない」。井村医師は「ひとりで悩み、ひとりで苦しみ、ひとりで泣く」人の苦悩を思い、学生時代に同じ下宿にいた後輩の自殺や自分が扱った中年女性と8歳の少年の自殺未遂をふり返っている。
いつも話を聞いてあげていた後輩が一番悩みぬいているとき傍らにいてやれなかったことを井村医師は悔やんでいた。私はこれだけ真剣に人を思う優しさに胸を打たれた。
この本は不治の病に倒れた井村医師が2人の娘と妻、両親、周囲の人たちに向けて書いた遺稿集だ。このとき長女の飛鳥さんはまだ2歳。次女の清子さんは母の胎内にいて、井村医師にとって「まだ見ぬ子」だった。
井村医師は病で右足を切断し、義足と杖で病院へ復帰した。やがて胸の痛みを覚える。自分の体が耐えられるぎりぎりまで患者を思う医師の姿に心打たれた。そしてあとどれだけ生きられるか分からない状態の、その苦しみを思うとふと弱気になる場面で「生きている限り生き、歩ける限り歩く」と前を向く。ひとりで苦しみを背負い自殺まで考える人たちには「けっしてあきらめるな」と書いた。生きようと。
娘たちへの手紙に「心で私を見つめてごらん」と書き残した井村医師。「心の優しい、思いやりのある子に育って欲しい」と何度も繰り返している。さぞかし心残りだっただろう。31年の人生はあまりに短い。
看護師をめざしている私は井村医師の言葉を大切にしたい。40年以上も昔に書かれたこの本が私に、これからの道を示してくれた。
<喜びの声>神戸市北区 荒木風夏さん(19)
■自分の未来に重ねて
新聞の1面に自分の文章が載るとは信じられない驚きでした。さらに月間賞で2度目のまさかです。しかもビブリオ最後の月間賞と聞いて3度目の感激は言葉になりません。看護専門学校の授業で選んだ一冊でした。有名な本だとは知らずに開いたページの印象から書き始めたのですが、読み進むと医師である著者の思いがやがて未来への希望に変わっていくことに深く感動しました。医療の現場で働く自分の将来に重ねて、この本への感謝は尽きません。
=おわり
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