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「もの作りに完成ない」 北方謙三「最後の短編」は14年ぶり現代小説「黄昏のために」

産経ニュース / 2024年7月17日 7時0分

北方謙三さん (村嶋和樹撮影)

作家の北方謙三さん(76)の新刊『黄昏のために』は、画壇に属さない中年画家の男が酒色の日々を過ごしながら、ひたむきにキャンバスに向かい続ける姿を描いた14年ぶりの現代小説だ。感傷と固有名詞をそぎ落とした乾いた文体は、時代小説の大家がかつてハードボイルド作家として世に出たことを思い起こさせる。北方さんは「これが最後の短編」としつつ、「ものを作ることに完成はない」となお熱を帯びる。

死の予兆

「画家を書きたかったわけじゃなくて、自分を書きたいという部分があった。小説を書いている小説家は書けないから、ものを作る人間、表現する人間として画家はぴったり。そこに私小説の形を借りて書いた」

還暦を目前に控える「私」は老いの予兆を感じながらも、死という形のないものを絵にしようと苦闘している。北方さん自身も「老いの予感、恐怖は40代からあったと思うな。だって60歳で死ぬだろうと思ってたもん」と笑う。

「私」は死を匂わせる人形や、動物の頭蓋骨といったモチーフを描くが、どれも納得できる作品にはならない。むしろわれを忘れてデッサンを繰り返してしまうのは、庭に咲いていた一輪のバラや、落ち葉拾いのため歩いた小山の等高線入りの地図だ。

吟味し尽くす言葉

「概念の死を考えたから行き詰まってしまうんで、骨なんかの素材で死を象徴しようとするのは人間の迷いですよ。その袋小路から出て描き始めると、夢中で描けるものが見つけられる。私だって小説を書いていて迷いはあるんだから」

計18編の連作短編集となった本作は、大水滸伝シリーズの『岳飛伝』(全17巻)執筆後に6編、昨年完結した『チンギス紀』(全17巻)の後に12編と、長編歴史小説の間に息継ぎをするように書かれた。

1編あたりの長さはきっかり原稿用紙15枚。長編小説ではときに3時間で書き上げることもある分量だが、「描写を支える言葉と出合うまで、白い原稿用紙のマス目をじっと見ていた」と1週間を費やして言葉を吟味し尽くした。

「長いものを書いていると、本来1つしかないはずの小説の表現を、4つも5つも使ってしまう。的確な言葉を書いていくことで、長編で緩んだ文章が引き締まって言葉の感覚を取り戻せる」

ハードボイルド作品とは「無駄なものは書かず、行間をたっぷり持たせて、感傷的なものがない小説」と説明する北方さん。昭和45年に学生作家としてデビューしたときは、ハードボイルドという言葉を知らないまま純文学作品を書いていたという。

「当時も『こんな暴力描写だけをするやつが、文学なんてできるわけないだろ』と合評会で言われて。だから学生の頃に書いたものと同じようなものを今も書いていて、小説がうまくはなっているけど、私は全然変わっていない。やっぱり、どこにリアリティーを感じるのかという問題になってくる」

次に書く長編で…

今後の創作活動は。「本当は『チンギス紀』で終わりにするつもりだったけど、まだ書けるなと。でも年齢的にも、次に書く長編小説で終わりですよ」。執筆に専念するため、23年間にわたって務めた直木賞の選考委員も昨年辞した。「辞める10年前くらいから辞めたいなと思っていたけど、誰かが選ばなきゃいけない。毎年必ず新しい才能が出てきて殴られて、もうパンチドランカー状態だったよね」とおどける。

ただ、根っこにあるのは「直木賞の選考委員をやってると世間的な権威になっちゃう。作家はそういうものと相反するところにいないといけない」という作家としての矜持だ。

本作は、自身の絵の変化を敏感に感じ取った盟友の画商の顔を「私」が描くところで幕を閉じる。

「画家は他人の顔を描いていても、実は自分の顔を描いているような心理がある。あえて言葉にして自分と言う必要はないが、すべての表現は自己表現。最後に〝自画像〟を描けたことで山を越えたかもしれないけど、もっともっと山がいっぱいあるという感じだね」(村嶋和樹)

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