戦病死した父を思い、戦争の悲惨さ伝承誓う、追悼式遺族代表の安斎満さん「遺族の使命」
産経ニュース / 2024年8月15日 15時17分
政府主催の全国戦没者追悼式で、遺族代表として追悼の辞をささげた安斎満さん(86)=福島県福島市=の父、与一(よいち)さんは昭和18年11月、29歳で出征先の中国で戦病死した。
当時5歳だった安斎さんに父の記憶は残っていない。ただ、福島駅から列車に乗って出征する父を必死に追いかけ、袖をつかんでいたことを母、キチさんから聞いた。
敗戦で兵隊は「悪者」に
18年6月、与一さんは召集により歩兵第65連隊に加わり、屯営会津若松を出発し、中国に渡った。参加した常徳殲滅(せんめつ)作戦の最中、マラリアに感染し、約5カ月後の11月に病院への護送途中に戦病死したとみられる。
敗戦後、兵隊は「悪者」とされ、戦没者の遺族らは周囲の偏見や差別に苦しんだ。25歳で夫を亡くした母と、出征前年の7月に生まれたばかりの弟と身を縮めるように必死に生きた。
当時、実家は福島市で代々続く米農家で、母は農作業に精を出し、懸命に働いた。「兄弟のために、おふくろには大変な苦労をかけた」。安斎さんは振り返る。
母から父の話を聞くようになったのは、成人した後だ。出征前、音楽に才があった与一さんは青年団長を務め、楽器を奏でていたという。母は94歳で亡くなったが、長年、父が愛用していたチェロの弦と、戦地から戻った父の遺骨一片などを箱にしまい、形見として大切に保管していた。
薄れゆく戦争の記憶
平成12年夏、安斎さんは父の慰霊のために中国へ渡り、最期の場所に近い湖南省長沙市などを巡った。40度近い暑さを体験し、父が戦病死した当時の環境を想像した。自分の半分の時間も生きられずに散った父。自身も2人の子を育てる中で、「幼い子供を置いて死に赴く気持ちは、相当厳しかっただろう」とひしひしと感じ、初めて亡き父の親心の一端を知ったように思う。
終戦から79年。薄れゆく戦争の記憶を継承する難しさも感じている。「戦争が忘れ去られてきている。戦争を知る最後の人間として平和を願う。今、戦争が起きれば、戦地に行くのは孫世代。戦争は絶対に起こしてはいけない」。
追悼式で、壇上の標柱に語り掛けるように言葉を紡ぎ、「語り部として、子、孫へと継承していくことが大切であり、遺族の使命である」と語った安斎さん。亡き父に思いをはせ、伝承への決意を新たにした。(王美慧)
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