「激動の紀元1世紀」知る手がかり 滋賀・中沢遺跡から建物跡
産経ニュース / 2024年9月5日 19時5分
栗東市の中沢遺跡で弥生時代後期前半(紀元1世紀)の掘立柱建物跡が見つかり、同市教育委員会が5日発表した。面積は35平方メートルで、「やや大型」程度の規模だが、後期前半は近畿の多くの巨大環濠集落で断絶が確認され、この時期では近畿最大の建物になるという。専門家は、激動期を越えて集落が存続したことを示す希少な事例として注目している。
掘立柱建物は東西8・9メートル(4間)、南北4メートル(1間)。柱の直径は25~30センチと推定される。集会場や倉庫といった共同管理の建物と考えられるという。
同遺跡の弥生中~後期の規模は東西約350メートル、南北約200メートルと推定され、平成26年度の調査では、弥生中期後半(紀元前1世紀)の中心施設とみられる51平方メートルの大型掘立柱建物跡が出土している。
調査した市出土文化財センターの近藤広さんは、「今回発見された掘立柱建物跡の構造は中期の大型建物と共通し、集落が中期から後期にまたがって存在していたことを示す」と話す。
中期が終わり後期が始まる紀元1世紀は、それまで繁栄していた池上曽根遺跡(大阪府和泉市)や東奈良遺跡(同茨木市)、田能遺跡(兵庫県尼崎市)など弥生時代を代表する巨大環濠集落の資料が激減し、新しい遺跡が増加する。
こうした「断絶」の原因として、女王卑弥呼が擁立される原因となった「倭国乱」を想定する説がかつて広く受け入れられた。しかし、現在は、紀元前1世紀からの急激な湿潤・寒冷化による食糧生産量の低下が人口低下をもたらしたという環境変化論が有力視されているという。
近畿の弥生社会に詳しい奈良県立橿原考古学研究所共同研究員の森岡秀人さんは、「この変革期に弥生中期と同じような中心施設を有する遺跡の例はきわめて少ない。弥生社会の激動期を知る建物として注目される」と指摘する。
中沢遺跡は、弥生後期の国内最大級の建物群で知られる伊勢遺跡(守山市)の約2キロ南西に位置。今回の掘立柱建物の数十年後、伊勢遺跡が登場したと推定できるという。
近藤さんは、「今回の発見は、気候変動による食糧生産量の低下が、近江は比較的緩やかだったことを示唆しており、伊勢遺跡が成立する背景を考える手がかりになる」と話している。
出土遺物は、弥生土器や石剣などの石器、鎌倉時代の土師器やフイゴなど。
現地説明会は7日午後1時半から。駐車場はない。問い合わせは栗東市出土文化財センター(077・553・3359)。
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