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まるで城壁?崖面に御土居の堀が出土、江戸期の絵図裏付ける

産経ニュース / 2024年11月7日 12時15分

発掘調査で出土した堀の跡。奥の住宅地と比べ高い位置にあることが分かる=京都市北区

豊臣秀吉が京の市街地を土塁で取り囲んだ御土居(おどい)跡の北西端付近(京都市北区)で、崖の斜面を掘削して堀を設けた跡が出土した。御土居に伴う堀が平地だけでなく、崖面にも設けていたことは江戸時代の絵図で知られていたが、実際に出土したのは初めて。調査した京都市文化財保護課は「御土居全体に川や堀がセットで巡っていたことを改めて示す史料といえる」としている。

御土居は秀吉が天正19(1591)年、京都の中心部を全長22・5キロメートルの土塁で取り囲んだ城壁。外敵からの防御や川の氾濫から街を守るなどの目的があったと推測され、高さ約3・5~約5・5メートルの土塁の外側を、鴨川や紙屋川などの河川や人工の堀が巡っている。

調査は6月、御土居の北西角から南約400メートルの住宅地内で行われた。周辺には今も高さ約5メートルの土塁が残っている。住宅建設に伴い約25平方メートルを調査した結果、元禄15(1702)年に描かれた「京都惣曲輪(そうぐるわ)御土居絵図」の通りに堀が出土した。幅7・3メートル、深さ2・3メートルの逆台形だった。

絵図によると、土塁の西側を紙屋川が小さく蛇行しながら並走。一部では「河岸段丘(かがんだんきゅう)」と呼ばれる階段状の地形を利用し、堀が設けられた様子が描かれている。また堀の内側(東)より低い外側(西)に土を積んで堤を設け、深さを確保していた。

市文化財保護課の西森正晃主任は「急斜面にあえて堀を設けることで、防御面を強化している様子がうかがえる。土塁の外から見ると、この周辺は城壁がそびえ立ったように見えただろう」との見方を示す。調査で出土した土器が少なく、堀の設置時期は特定できなかった。一方で同課は防御目的の強い遺構の特徴から、戦国期の名残をとどめる豊臣期に設けられた可能性が高いとみている。

これに対し京都女子大と大谷大の非常勤講師で、御土居に詳しい中村武生氏は「史料が徳川期のものしか残っていない以上、今回の堀を豊臣期のものと判断するのは難しい。ただ絵図を読み解く上で重要な発見になった」などと話している。(園田和洋)

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