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パリ五輪開会式で炸裂した精神の爆弾 破天荒な試みは刺激的かつ知的だった モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら(182)

産経ニュース / 2024年8月3日 11時0分

人間の悪をも表現する演出

《我々の存在は、もろもろの病的特質で固められている。野心・嫉妬・そねみ・復讐(ふくしゅう)・迷信・絶望なども、まったくそれが自然にかなっているかのような顔で我々のうちに宿っている。(中略)これらの諸特質の種子を人間の中から取り除くならば、我々の生命の根本的性質をも破壊することになろう》(第3巻第1章「実利と誠実について」関根秀雄訳)

人間から悪の種子を取り除くなら、そのとき人間は人間でなくなっている。これがモンテーニュの人間に対する基本的認識である。私も異論はない。

パリ五輪の開会式を見ていて想起したのがモンテーニュのこの言葉だった。以下につづるのは、邪推に基づいた感想である。

開会式の演出家は、徳だけでなく、悪をもたっぷりと含んだ人間と、その人間が織りなしたフランスの歴史とその延長にある現在を表現したかったのだろう。皮肉屋で韜晦(とうかい)をモットーとする、相当したたかな人間に違いない。

そもそも戦火の絶えないこの世界で、日本国憲法の前文のごとく、世界の人々の善意を信じて五輪の理念を素直に表現することがどれほどの力を持つのか、と演出家は考えたのだろう。そこで祝祭である開会式とはいえども、人々を単に喜ばせたり驚かせたりするだけではない、人々の精神に揺さぶりをかけるような演出が必要ではないかとの考えに至ったのだ。比喩的に言うなら、さまざまな種類の精神の爆弾を投下しようとした。

そのうえで、パリならではの歴史、歴史的建造物、セーヌ川を中心とした景観、華やかな文化と娯楽を巧みに取り入れ、かつ誰もが知るアーティストやアスリートをフランス以外の国々からも招いて協力を仰ぐことで、式典を壮観かつ娯楽性のあるものにしていった。

この破天荒な試みを、円環が閉じるようにうまくまとめ上げたのが、最後に登場したセリーヌ・ディオンだった。難病と闘い、数年間人前で歌うことのなかった彼女が、エッフェル塔のステージで「愛の讃歌(さんか)」を熱唱する姿は、祈りのオーラを発し、神々しいとしか言いようがなかった。

したたかな演出家にとっては、精神の爆弾投下に気付き憤慨した人々から噴き出るであろう批判や非難は想定のうえで、それに対してどう応じるかも準備していたはずだ。私には、マスメディアやSNSを通して声を上げる人々が無邪気なお人よしに感じられてしかたなかった。まさに演出家の思うつぼだった。

「イマジン」に初めて感動する

2006年のトリノ冬季五輪の開会式後、私は「『イマジン』の気恥ずかしさ」と題したコラムを本紙に書いた。その一部を紹介しよう。

《トリノ五輪の開会式であの歌が聴こえてきた。「イマジン」である。ジョン・レノンの代わりにだれかが歌っていた。「いい加減にしてくれよ」と、一人ごちた。/ジョンが殺されて四半世紀。ジョン=「イマジン」=「ラブ&ピース」という図式が完全に成立、オーソライズされた感がある。/こんなことにならなければ、「イマジン」はジョンのB級作品として、それなりに楽しむことができたはず。しかし、いまでは耳にするたびに気恥ずかしくなる。「ラブ&ピース」と結びついた「イマジン」が、観光地のお土産屋で見かける、武者小路実篤の色紙を想起させるからだ。/「仲よき事は美しき哉」(以下略)》

もろもろに疲れ果てて闘うことをやめ、「想像」に逃げ込もうとするジョンの歌に、軽い失望を覚えていた私は、この歌をもてはやす風潮に妙な反発を覚えていたのだ(このコラムは猛烈な反発を買った)。

ところが、パリ五輪の開会式で歌われた「イマジン」は、とても感動的だった。夜のとばりがおりたセーヌ川。岩を模した船の上で、戦火を想起させる炎に包まれたピアノを男性が弾き、女性がささやくように歌う。「宗教や国境なんてないと想像してごらん」という歌詞がこんなに心に響いたのは初めてだった。

暴力的、破壊的ともいえる演出によって、この曲に秘められた力が静かに引き出されたといえる。楽器を燃やすといえば、ジミ・ヘンドリックスだが、彼は演奏後にギターを燃やした。燃えるピアノを演奏した男性はさぞかし熱かったことだろう。そのおかげで私は、「イマジン」が秘めた力にやっと気付いたように思う。

攻めた演出に目を見張る

「イマジン」の演出は穏やかな精神の爆弾投下の例だ。もっとも激しかったのは言うまでもなく、フランス革命で斬首された王妃マリー・アントワネットが登場するパフォーマンスだ。

場所はセーヌ川に臨むコンシェルジュリー。王妃が処刑の日まで幽閉されていた監獄だ。赤いドレスをまといベランダに立つ首のない王妃。両手には自身の生首…。生首が「アー・サ・イラ」(さあ、うまくいく)とアカペラで歌い始めるのを合図にメタルバンドの激しい演奏が始まる。曲名は「サ・イラ」。フランス革命期に流行した革命歌で、「貴族を街灯につるせ」「貴族を縛り首にしてやる」といった過激な歌詞を持つ。

次いでコンシェルジュリーの前に船が現れ、ゆっくりと進んでゆく。船に乗った女性歌手がオペラの発声で「アー・サ・イラ」と歌う。パフォーマンスの終盤、コンシェルジュリーの窓から無数の真っ赤なテープが吐き出されて空に舞い、次いで真っ赤な煙が噴き出される。遠目に見るコンシェルジュリーは鮮血に染まったかのよう。ずいぶん攻めた演出だ。

エドマンド・バークの『フランス革命の省察』やアナトール・フランスの小説『神々は渇く』に影響を受けた私自身は、フランス革命を人類が犯した壮大な愚行のひとつであると考えている。伝統を無視し理性を過信した人間が犯す残酷な過ちのショーケースだった。

《苦のあとには必ず楽が来るとは限らないのだ。またもう一つの苦が来ることもあるし、前よりもっとひどい苦がくることすらあるのである》(第3巻第9章「すべて空なること」)というモンテーニュの言葉など、革命熱に感染した人々にとっては唾棄すべきものだったのだろう。

そう考える私には、王妃のパフォーマンスは、けっしてフランス革命を賛美するものではなく、逆にフラットな立場から疑問を呈するように感じられたのだが、いかがだろうか。投下された精神の爆弾はみごとに炸裂(さくれつ)した。

1964年の東京五輪以降の開会式をテレビで見てきた私個人にとって、今回がもっとも刺激的で知的なものだったと断言できる。本当に面白かった。(桑原聡)

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