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ダグラス・マッカーサーの戦前、戦後に思い馳せ 横浜市 ホテルニューグランド <門井慶喜の史々周国>

産経ニュース / 2024年9月4日 7時0分

ホテルニューグランド

妻とは世紀末、平成十一(一九九九)年十一月に結婚した。

ことしは二十五年目。銀婚というやつ。子供たちはもうお風呂や夕食の支度くらい自分で何とかなる年齢だし、記念にどこかで一泊しよう。そんな話の流れになった。

私の頭に浮かんだのは、横浜のホテルニューグランドだった。まず建物が古い。本館は昭和二(一九二七)年開業時のもので、石張りの外壁(がいへき)の重厚感もさることながら―もっとも開業当時はむしろ軽快と見られたと思われるが―、一階の扉を入ったところで目の前にあらわれる大階段は、そこにいる人を否が応でも主人公にしてしまう圧倒的な説得力がある。

さすがは近代日本を代表する建築界の巨匠・渡辺仁(じん)の設計である。記念日の滞在先としてはまず申し分ない上に、ここには他にはない歴史の記憶がある。

連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーが滞在したのである。しかも昭和二十(一九四五)年八月三十日、降伏直後の日本の厚木基地に降り立って、例のサングラスにコーンパイプの姿を見せつけてから、このホテルに直行して来たのだ。

おそらくは、例の大階段ものぼっただろう。そうして三階の角の三一五号室に滞在した。『ホテル・ニューグランド50年史』によれば彼はその後ホテルを出て、山手(やまて)の洋風邸宅に移ったため、じつのところは三日間しか滞在していないのだが、しかしこれはただの三日ではない。彼はこの部屋のなかで椅子に座り、部下に状況を報告させ、おそらくはデスクで書きものをしながら占領の構想を練ったので、その意味では、理念的には、日本の戦後はこの部屋から始まった。ここが国家の頭脳だったのである。

そうしてその三一五号室は、いまもある。「マッカーサーズスイート」と特別な名がつけられたものの、他の客室と同様、誰でも泊まることができる。電話してみたら幸いにも予約が取れたので、六月の或(あ)る日、夫婦で行った。

ドアをあけると小さな廊下があり、壁にマッカーサーの写真がかけられている。サングラスにコーンパイプ。それを抜けると広い部屋。

長いソファがあり、四角いテーブルがあり、円形のテーブルがあり、コーヒーカップ等(など)を収める戸棚があってもなお窮屈な感じがしない上、彼が使用した椅子とデスクも置いてある。

ふらふらと、誘われるように座ってみる。卓面は意外と小さかった。窓の外の港と船の景色をうっとり眺めながら友達に手紙でも書くのがお似合いだが、しかし考えてみれば、これは意外でも何でもない。こっちの頭のなかに前もって敗戦だの、連合国だのという大きな歴史が刷り込まれている、その刷り込みを取っ払ってしまえば、ホテルの客室の机としてはむしろ手頃なサイズなのである。

いや、それを言うなら、このときマッカーサーの取った行動そのものも手頃というか、決して大仰(おおぎょう)なものではなかった。来日最初の夜をこのホテルですごすのは、戦前ならば決して珍しくなかったからである。

イギリス国王の第三王子グロスター公も、チャップリンも、ベーブ・ルースも…飛行機の便のない時代、みんなまず船で横浜港に着いた。そのまま入るこのホテルは久しぶりの陸(おか)の家であり、日本という国の第一印象そのものだったろう。そうして当時は彼らほど有名ではなかったけれども、他ならぬマッカーサーも一度、昭和十二(一九三七)年にチェックインしている。

このときの来日の目的は、ジーン夫人との新婚旅行だった。すなわち終戦直後に厚木基地から直行して来たのは、彼にしてみれば八年ぶり二度目の滞在だったわけで、ホテルの側としては同一の人物が新婚旅行という最も私的で甘い目的と、占領支配という最も公的で物騒な目的と、それぞれの用で来たのを受け入れたわけだ。

まことに幅が広すぎる。もちろん私たちの旅はのんびりしていて、どちらかと言うと新婚旅行に近いのだろうか。夕食をホテル内のフランス料理店で取り、目の前の山下公園をぶらぶらして、翌日は部屋で朝食を食べた。黄金色(おうごんいろ)のオムレツもコーヒーもおいしく、私たちは長い年月における星の数ほどの滞在客のひとりであることを満喫したのである。

窓の外には、やっぱり港と船の眺め。横浜らしい横浜。来年は終戦八十周年。=次回は25日掲載予定

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