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デジタル中世と陰謀論 ネット上に拡散する根拠のない情報に影響を受ける危険性 モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら(181)

産経ニュース / 2024年7月20日 11時0分

容疑者射殺で真相は永遠の謎

米国ペンシルベニア州バトラーで13日(日本時間14日)、11月の大統領選に向けた集会で演説していたトランプ前大統領が銃撃され、右耳を負傷した。

発砲音と同時に右耳を押さえていったんはうずくまりながら、再び立ち上がって、流血をものともせずにこぶしを突き上げるトランプ氏の映像を見た私は「出来過ぎだ。これは自作自演ではないか」と思った。プロレスで、セコンドやレフェリーが隠し持っているカミソリで、選手の額を切って流血させ、観客を興奮にいざなうように、空砲を鳴らし、トランプ氏が自分の手で右耳にカミソリを当てたのではないかと。

その疑念は、集会参加者の1人が死亡し、2人が重傷を負ったという続報によって打ち砕かれた。弾丸は確かに発射されたのだ。その後大写しされたトランプ氏の右耳には貫通射創があるように見えた。

そのときに撮られた、青空にはためく星条旗を背景に流血しながらこぶしを突き上げるトランプ氏の写真は、強烈なインパクトがあった。間違いなく報道写真の分野で今年何らかの賞を獲得するだろう。そして信仰心の篤(あつ)いアメリカの人々の多くが「私はアメリカとトランプ氏を守っている」という神の声をそこに聞くことだろう。今はトランプ氏の回復と、巻き添えになって亡くなられた方のご冥福、重傷を負われた方の回復をお祈りしたい。

今回の事件で返す返すも残念なのは、容疑者の20歳の青年がその場でシークレットサービスに射殺されたことだ。世界中の誰もが、1963年に起きたケネディ大統領暗殺事件を想起したはずだ。実行犯とされたオズワルドは逮捕の翌々日、ジャック・ルビーという男に射殺された。

オズワルドの死は、暗殺の真相を闇に閉じ込めた。それゆえさまざまな陰謀論が今もまことしやかにささやかれている。同様に今回も容疑者の死によって、新たな陰謀論が次々と生成され、ネットを通じて世界中に拡散されるはずだ。

過激主義者の言説に染まって

銃撃の事実を突き付けられた私は、「自作自演ではないか」と疑念を抱いた自分の反応にいささか動揺した。自分自身が、唾棄すべき、訳知り顔の陰謀論的思考に染まっていたと気付いたからだ。国、国際機関、報道機関を信用しない人々がネット上で拡散する情報の影響を、知らず知らずのうちに受けていたのだ。

ここで思い出したのが、「クーリエ・ジャポン」デジタル版(2月26日配信)に掲載されていた記事である。英国のシンクタンク「戦略対話研究所」上席主任研究官であるユリア・エブナーが、Qアノン、不本意の禁欲主義、反コロナワクチン、気候変動否定、LGBTQ嫌悪、女性嫌悪、人種差別主義などの過激主義組織に覆面調査員として潜入して実感したことを、スペイン紙「エル・パイス」に語ったものだ。彼女はこんな発言をしている。

《もしこのまま現在の道を進めば、未来の歴史書は──そんなものが存在すればですが──、2020年代をデジタル中世もしくは、暗黒時代の始まりと記すことでしょう。根拠のない作り話が再び台頭するのを私たちは目にしています。これは、神話的なものを排除した啓蒙(けいもう)主義のまさに正反対であり、非常に危険な道です》

「中世」とは、西ローマ帝国の滅亡(476年)以降およそ1000年続いた時代だ。支配的イデオロギーは言うまでもなくキリスト教で、ユダヤ人の追放・虐殺や魔女狩りなど、異教徒や異端者は、ただそれだけの理由で容赦ない仕打ちを受けてきた。

その後のヨーロッパは、ルネサンスと宗教改革を経て、人間の理性に信頼をおこうとする近代を迎えた。だが、情念の生き物である人間は、状況によってたやすく理性を手放す。民主的手続きによって政権を奪取したナチスの例を挙げるまでもなく、社会が不安定で将来が見通せない時代には、良識を持った人々でさえも、陰謀論や神話に染まりやすくなる。ひとつ興味深い実例を紹介しよう。

示唆に富むオルレアンの噂

1969年4月末から5月初めにかけて、パリの南方100キロほどに位置するオルレアンで、ある噂が街を覆った。ユダヤ人が経営するブティックの試着室に入った若い女性が誘拐され、海外の売春宿に売られるというものだ。試着室の下には秘密の地下通路があり、犯人は睡眠薬で眠らせた女性をそこから連れ出しているというのだ。

噂はまず女子生徒の間で広まった。警察に行方不明者の届け出があったわけではない。それにもかかわらず、人々は「事件は隠されている」「警察もグルなのではないか」と思い込み、口コミによって噂はどんどん広がり、ついには、街の人々がブティックの店主を取り囲み威嚇する事態となった。

この騒動を調査したフランスの社会学者、エドガール・モランはその著書『オルレアンのうわさ』(みすず書房)で、次のように背景を分析している。

騒動が生じたのは、同年4月28日に辞任したシャルル・ドゴール大統領の後任を決める選挙期間中で、フランス中の国民が落ち着かない気分になっていた。

1960年代、フランスは高度経済成長のさなかにあり、古いものが捨て去られ、急速に現代化が進むことへの驚きと不安が年配の国民に生じていた。標的になったブティックは、最新モードの服を扱い、試着室でそれを身に着けられるというので、若い女性の人気を集めていた。

加えて、フランスとイングランドの百年戦争(1339~1453年)で、陥落寸前だったオルレアンを、ジャンヌ・ダルクがわずか10日で解放したという史実もひと役買った。オルレアンには、救国のヒロインに由来する秘密の地下通路が掘られているという都市伝説があったのだ。

そして忘れてはならないのが、抑圧されていた反ユダヤ感情だ。第二次世界大戦の反省から、フランスでは反ユダヤ的な言動は厳しく取り締まられてはいたものの、フランス国民の心のうちには、それがしぶとく残存していたのだ。

1969年といえば、アポロ11号が人類初の有人月面着陸に成功した年だ。先進国であるフランスにおいて、中世のような騒動が起こったことに驚きを禁じ得ない。人間の理性とはこれほど頼りないものなのだ。

現在の世界は、当時のフランスよりもはるかに激しい変化に見舞われている。加えてネットなしに生きることができなくなっている私たちは、過激主義者たちが創作し、ネットで拡散する陰謀論に感染する可能性のあることを絶対に忘れてはならないだろう。(桑原聡)

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