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四角い箱で味わうハレの気分、無意識の祝祭 京都市・お辨當箱博物館  <門井慶喜の史々周国>

産経ニュース / 2024年6月26日 7時0分

お辨當(べんとう)。

以下「弁当」と現行通用の表記を用いるが、考えてみれば妙な語だ。おそらく「当を弁ずる」あたりが語源なのだろうが、これは「さしあたり目の前のことを処理する」くらいの意味で、飲み食いとは関係ない。

それこそ汎用性の高い語を「さしあたり」飲食方面に使いましたというような、はずむような機知の一語である。下位概念(?)もわりと多く、日の丸弁当、幕の内弁当、花見弁当、宅配弁当…「駅弁」ももともとは駅売り弁当の略なのだろうし、手弁当や腰弁当(腰弁)など、飲食を離れて人間の行為や役割を示すようになったものもある。どうやら量だけでなく質においても、私たちの生活のずいぶん広い範囲を覆っているらしいのである。

そういう弁当のための運搬器、つまりお弁当箱を集めた施設が京都にある。昨今のこの街の殺人的な観光客の氾濫のなかにありながら、しかも京阪本線「清水五条」駅出口の目の前という好立地にありながら、私が行ったときはドーナツの穴のように人が少なく、しんとしていた。

まあ博物館と銘打っているものの、展示の数が多くなく、詳細な説明を記したキャプションもないのが理由なのかもしれないが、この場合はむしろそのほうがいい。お弁当の展示であんまり大げさなのも変な気がするからだ。もっとも、ガラスケースのなかは贅沢なつくりの品ばかりで、黒うるし塗り、五段重ね、金箔貼り、家紋入り…それに、これは何と呼ぶのだろう、お銚子を倒さぬよう立てたまま運べる部分がついている提げ重もある。

もともとの持ちぬしは大名とか、豪商とかだったのにちがいない。私は目を近づけたり離したりしながら、(これ、たいてい四角だなあ)と思った。なかには筒形や茶釜形のものもあるけれど、やはり箱形がいちばん多い。

お弁当箱の基準は直線にあるのだなどと言うと、なーんだ、そんなの当たり前じゃないかと言い返されそうだが、待ってほしい。以下は私の用語だが、いったいにお弁当にはハレ系とケ系がある。

祝祭系と日常系、と言い換えてもいいだろう。このうちケ系はたとえば農夫の昼めしのごときもので、竹皮づつみの握り飯だったり、竹で編んだ籠状のものだったりする。

経済性や携帯性を考えれば、わざわざ木工品をあつらえる必要はないのである(だから厳密にはお弁当「箱」ではない)。これに対してハレ系は、はっきりと金持ちの遊興用だった。花見や野遊山のもの。もとより経済性は気にしなくてもよく、主人みずから持ち運ばないので携帯性への配慮も不要、ぞんぶんに見た目の美しさを追求することができる。

すなわちこの博物館のガラスケースに収められたのは、こうしたハレ系、祝祭系のものばかりなわけだが、しかしここでの見た目の美しさとは、黒うるし塗りとか、金箔貼りとかの装飾だけを言うのではない。私に言わせれば、それ自体が堅固な「箱」であることが、言いかえるなら竹皮づつみのような不定形でないことが、すでにして芸術の始まりなのである。

なぜなら「箱」は、理念的には、外部との境界を明示する。ということは、ハレの場においては、その内部にあるものが日常性とは厳密に区別された一種の「作品」だと主張することにもなるわけで、このへんは西洋絵画の額縁とか、映画のスクリーンとかを思い出すとわかりやすい(本の装丁もおなじかもしれない)。そういえばあの額縁というやつも、単に外部の衝撃から絵を守るだけなら丸形でもいい理屈だが、実際はやはり四角形が圧倒的に多い。四角形というのは最も空間効率がよく、強い人工性が感じられるので、それで境界の存在を印象づけるには打って付けなのだろう。

おかげで現代のお弁当箱も、ちょっぴりハレのしっぽが残っているようである。私たちは駅弁でも、幕の内でも、ホームセンターで買ったプラスチック製でも、およそ四角の箱でものを食べるかぎり、その時間だけは、知らず知らず、大名や豪商の気分になれるのだ。

無意識の祝祭、歴史の魔法。そんな大げさなことを考えるあいだ、結局のところ、ほかのお客は二、三組しか来なかった。いろんな意味で贅沢が味わえる、個人的にはあまり有名になってほしくない場所。

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