近代皇族の日常を体現する建築 聖心女子大学キャンパス内 旧久邇宮邸(東京都渋谷区) 門井慶喜の史々周国
産経ニュース / 2024年12月25日 7時0分
聖心女子大学で講演をした。
いや、厳密には講演ではなく、講義というべきか。この大学には「ジェネラルレクチャー」という授業がある。通常のそれのように一人の先生が担当するのではなく、毎週、別の人が教壇に立つ。
ときには学外の講師に話をさせる。私はそういう講師のなかの一人として招かれ、学生たちの前に立ち、そうして「文章の書き方」という題でしゃべったのである。まあ私の話術など大したことはないのだが、学生たちが熱心に耳を傾けてくれたので、何とか講義の体裁を保つことができたのは有(あ)り難(がた)かった。まことに良質の環境だった。
ところで、この日の前、現代教養学部の小山裕樹准教授と事務的なやりとりをしているとき、小山さんから、「建物を見ませんか」とお誘いをいただいた。
現在、この大学のキャンパス内には旧皇族・久邇宮(くにのみや)の旧邸の一部が残されていて、学生の課外活動などに利用しているのだという。私は「ぜひ」と答えて、当日、講義の前に見せてもらった。
現存しているのは、御常御殿(おつねごてん)、小食堂、車寄せなど。すべて和風建築である。このうち歴史という物語の舞台としては、さしあたり車寄せがいちばん目を引くだろうか。本館の建物から唐破風の屋根が張り出して、ぼってりと頭上を覆う感じ。この屋根からは、大正十三(一九二四)年、ひとりの女性が結婚のため出発したのである。
その女性とは久邇宮第二代邦彦(くによし)王の長女の良子(ながこ)である。二十歳。結婚相手は皇太子裕仁(ひろひと)、二年後に践祚(せんそ)して天皇(昭和天皇)となった。おのずから良子も皇后(香淳皇后)になり、その誕生日である三月六日は「地久節」と称された。
或(あ)る意味、現代女性史の原点である。しかし住宅建築としてはやはり車寄せは主たる部分ではないわけで、この場合、それは御常御殿のほうである。
主人のふだん暮らす空間。私は玄関で靴をぬぎ、なかへ入った。
廊下には、畳が敷かれている。向かって右側には屋外に面したガラス窓、左側に和風の部屋のつらなり。一見よくあるお屋敷のようでいて、やはり随所に華やかさがある。たとえば釘(くぎ)かくしには菊の御紋(ごもん)があしらわれているし、火灯窓(かとうまど)(花頭窓)は人が出入りできるくらい大きい。なかでも特に目が引かれたのは、寝室の天井だった。
角材でもって碁盤の目のように天井を区切る、いわゆる格天井(ごうてんじょう)である。それだけならば世に例は数多いけれど、この住宅では、その正方形のなかへ、ひとつおきに、市松模様よろしく日本画の小品を嵌(は)め込んでいる。
それはたとえば速水御舟(はやみぎょしゅう)の牡丹(ぼたん)であり、安田靫彦(ゆきひこ)の薊(あざみ)であり…あんまり貴重なものなので現在は東京国立博物館にあるそうで、私の見たのは複製だったが、それでも見るうち(近代だなあ)。しみじみと、そんな気になったのである。
なぜならここでは、統一の美は目指されていない。たとえば一双の屛風(びょうぶ)のなかに和歌の書かれた紙幅をたくさん貼りつけて、それによって屛風そのものを生きた作品とするがごとき全体志向は見られないので、そのかわり濃厚なのは、一種の博物館的な態度である。収集と展示が最大の目的、と言えばいいか。
そもそもこの天井のしつらえは、例の邦彦王の発案によるものらしい。彼は伝統重視の美術団体である日本美術協会の総裁の職に就いていたから、その縁故もあるのだろうが、しかし、より本質的に考えれば、久邇宮という家自体がもう純粋に近代の産物だった。
明治初期に、政府の後押しによって、いわば近代の価値観を受け入れる前提で世にあらわれた家。その二代目とあってみれば、いくら血すじ自体はむかしながらのものだとしても、いやむしろそうであるだけに、その生活意識は複雑になるほかなかった。彼の目にはたぶん、格天井という日本の伝統が、伝統のまま、まるで標本箱のように見えたのではないか。
日本的な全体の「和」よりも、その構成物それぞれの魅力を強調する内装。もしかしたら西洋的な個人主義に通じるかもしれない作りつけ。なおこの旧邸は一般公開していないが、今年の三月には、期日を設けて特別公開をおこなった由。またの機会を期待しよう。
=次回は1月22日掲載予定
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