神代の森で出合う幻影の宮 宇佐神宮(大分県宇佐市) 門井慶喜の史々周国
産経ニュース / 2025年1月22日 7時0分
その神社は、朝の雨につつまれていた。
時刻は九時前だったろうか。ほかに人影はほとんどないし、参道のおみやげ屋はまだ店をあけていない。
私は最初の大きな鳥居をくぐり、神橋を渡り、手水(ちょうず)舎(しゃ)で手を清めて奥へ進んだ。
道は、しだいに上り坂になる。階段をのぼると広い空間があらわれて、道が二手にわかれている。
どちらも鳥居が立っている。私はひとつ深呼吸して、より大きく見える左のほうの道を選んだ。にわかに周囲の木が密集し、薄暗くなる。この神社の社叢(しゃそう)、つまり森のなかに入ったのである。
この山は亀山、または小椋山という。古来イチイガシとクスノキが多く、いまもほぼ自然のまま残されているとか。どちらも常磐(ときわ)木(ぎ)(常緑樹)である上に、イチイガシの葉っぱには鋸状(のこぎりじょう)の歯がついていて、クスノキは薬臭がして、人を寄せつけぬ感じがするところが神の存在を感じさせたのか。
おそらく最初は山そのものが信仰の対象だったところへ、のちに祭祀(さいし)の場としての神社ができたのだろう。大づかみに見れば日本最古の神社なので、現在、全国に約八千あるといわれる八幡系のそれはみなこの山から始まっている。平安京鎮護の石清水八幡宮も、源氏の氏神である鶴岡八幡宮も。この山はつまり日本宗教史最大の幹線道路の道路元標(げんぴょう)にほかならないのだ。
雨は、なお降りつづいている。もっともそれは、傘をひらくかどうか迷う程度で、私はひらかず歩くことにした。森を抜けると視界がひらけ、にわかに神社らしくなる。
しっかりと石畳が敷かれ、お守りなどの授与所があり、その奥に本殿がある。有名な勅使門のあざやかな朱色のせいもあって、いかにも明るい空間である。私は拝礼をしてからも、(人工的だな)そう感じた。どことなく明るすぎるのだ。つまりは逆に、それだけ太古の森のにおいが脳裡(のうり)に濃く残っていたということか。
もっとも、この神社にしたところで、戦国時代に衰微する前は年限を定めて社殿を改造していたというから(伊勢神宮の式年遷宮のようなものだろうか)、人工的な開発の歴史も決して浅くはないのだが、しかし私は、もとの石畳を踏みながら、何となく諦めきれないでいる。景色のなかに、つい神代(じんだい)のよすがを探してしまう。
現代人の身勝手、かもしれなかった。帰りはまた森のなかへ入りつつ、行きとは別の石段を下りる。
途中には若宮(わかみや)がある。下宮(げくう)がある。どちらも木々にかこまれ、檜皮葺の屋根にうっすらと抹茶のような苔(こけ)をいただいているけれど、建物そのものは新しい。やっぱり壁も柱も朱色があざやか。
仕方ないかと自分に言い聞かせつつ、何度目かの鳥居をくぐると、見おぼえのある空間。
さっきひとつ深呼吸して、左の鳥居を選んだ場所である。つまりは順路の円環が閉じたわけで、参詣終わり、の感が強くなる。私は足を速めた。しらずしらず脇道らしきものを見つけて入っていた。
あとで地図を見たところでは、どうやら寄藻(よりも)川にかかる呉橋をめざして歩いたらしい。その道の途中で、不意に、ほんとうに不意打ちという感じで、私はそれに出会ったのである。
石柱に「一柱騰宮跡(あしひとつあがりのみやあと)」と記されている。まさしく記紀の説く神代の宮殿跡である。のちの初代天皇である神日本磐余彦(かむやまといわれびこ)が、日向を出発して大和へ向かう、いわゆる神武東征の途中でこの地に立ち寄ったところ、地元の有力者がこの宮を建て、ご馳走(ちそう)をふるまったという。
その宮が、ここだというのだ。もとより神話である。学術的な根拠は乏しいだろうし、そもそも目の前には建物がない。礎石もない。単なる森のなかの原っぱである。
が、私の目には、それがかえって真に迫る気がした。ふしぎな心強さのある光景。想像のなかの文化財。
雨がいっそう強くなる。私は傘をさしたまま、その静かな場所に立ちつづけた。ほかには誰もいなかった。
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