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国産シルク、継承の道を模索 夏休みの子供たちに蚕飼育キット配布も

産経ニュース / 2024年8月15日 8時0分

蚕は他の昆虫に比べて動きも少なく、比較的扱いやすいとされる=7月31日、東京都千代田区の蚕糸会館(吉沢智美撮影)

明治以降、日本の近代化を支えた一大産業だった養蚕。皇室では今もその文化が受け継がれているが、国内の養蚕・製糸業は安価な外国製品の流入や担い手の高齢化により、衰退の一途をたどっている。関係者は持続可能な産業を目指してこの夏、検討会を発足。夏休みの子供たちを対象にした啓発イベントも開催し、「メイド・イン・ジャパン」のシルクを次世代につなぐ道を模索している。

飼育キット配布

「カイコを飼ってみよう」-。7月下旬、東京都千代田区の「蚕糸会館」に集まった10組あまりの親子が、スクリーンに映し出された蚕の飼育方法の説明に見入っていた。子供たちの手元の箱の中には、体長数センチの蚕10頭が、桑の葉の上に鎮座している。

蚕糸技術の研究、絹文化の発展を目指す一般財団法人「大日本蚕糸会」が、中学生以下を対象に3年前から始めた蚕飼育セットの無料配布。都内の女性は、小学2年の娘に「絹製品など、自分が身につけているものについて感じさせたい」と参加したという。家族旅行で富岡製糸場(群馬県富岡市)を見学し、「自分で繭を作りたい」と訪れた小3男子の姿もあった。

子供たちに向けた催しの背景には、国内の蚕糸業を巡る「危機的」ともいえる状況がある。

かつては世界一

着物などに用いられ、日本の和装文化を支えてきた生糸。江戸時代末期に鎖国を終えて以降、昭和初期まで、日本最大の輸出品でもあった。明治5年、当時世界最大規模の製糸工場として創建された富岡製糸場は、その象徴的な存在として知られる。

生糸の生産に欠かせないのが、蚕の繭だ。明治天皇の后(きさき)、昭憲皇太后は養蚕を奨励するため、自らも皇居で蚕の飼育に取り組んだ。明治42年、日本は世界一の輸出生糸生産国となった。

ところが昭和30年代以降、和装需要の減退や安価な輸入生糸・絹製品の増大により、国内の繭や生糸の生産量は減少傾向に。高齢化による担い手の減少も深刻で、大日本蚕糸会などの統計では、63年には6万戸以上あった養蚕農家は令和5年時点で146戸に激減。平成6年には7千トン以上あった繭の生産量も、令和5年には45トンにまで落ちた。

歴史ある日本の蚕糸業が消滅してしまうのではないか-。業界は、そんな危機感を強めている。

皇室、保存に寄与

国内の養蚕業が急激に衰退する中、文化としての養蚕の保存に寄与してきたのが、皇室だ。

昭憲皇太后が始めた養蚕はその後、歴代皇后に継承されてきた。中でも、上皇后さまが復興に尽力された日本純産種の蚕「小石丸」の繭からとれる繊細な生糸は希少で、文化財の修復にも用いられてきた。また、皇居での養蚕には例年、農業高校の卒業生も参加しており、次世代への継承の場にもなっている。現在は、皇后さまがその役割を引き継がれている。

業界では現在、国産の繭や生糸の価値を改めて見直し、ブランド化や輸入品との差別化を模索。大日本蚕糸会は新規参入の農家に対し、養蚕技術の研修などの支援を実施している。さらに、同会は今年7月、「持続的養蚕業確立検討会」を立ち上げた。「蚕糸の日(3月4日、3月14日など)」制定による機運醸成などを検討している。

ほかの昆虫に比べて動きも少なく、比較的扱いやすい蚕の飼育を通じた子供たちへのアプローチは、次世代への蚕糸・絹文化継承の「土壌づくり」でもある。同会の蚕糸絹業振興部参事、小林栄一氏は「蚕を飼うことで、シルクがどのように生産されるのか知るきっかけになれば」と力を込める。(吉沢智美)

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