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養蚕から繰糸機まで日本の栄光たどる 国内最古級の東京農工大科学博物館

産経ニュース / 2024年6月25日 13時7分

東京都小金井市にある東京農工大科学博物館(本館)では、かつて世界に名をとどろかせた日本の養蚕と製糸・繊維産業の歴史をたどることができる。今年、同大が創基150周年を迎えたことを記念して蚕の餌となる桑畑を復活させ、日本の植物学の黎明期に使われた教育資料を展示する特別展を行っている。蚕の飼育から織布までを扱う、日本最古級の大学博物館を訪ねた。

ルーツは明治時代

農工大のルーツは、明治7(1874)年に現在の新宿御苑に開設された内務省農事修学場と同蚕業(さんぎょう)試験掛にまで遡(さかのぼ)る。所管省庁の変更や組織改編を何度も経て、それぞれ現在の農学部および工学部となる。

明治初期、生糸や絹などは全輸出額の約4割を占め、蚕糸業は極めて重要な外貨獲得のための産業として振興された。こうした中で、蚕業試験掛に始まる工学部の前身組織は、国内の蚕糸教育の拠点を担った。宮中での御養蚕にあたって、皇室の方々が行啓されたり、御養蚕所で学生が作業したりといった関わりもあった。

科博の歴史は19年、農商務省農務局蚕病(さんびょう)試験場に設置された「参考品陳列場」に始まるという。養蚕やシルクに関する資料を収集・保存し、研究や教育に活用していた。館長の中沢靖元教授は、「京都大の博物館が日本最古の大学博物館といわれている。大学組織ではなかったが、博物館としては同じくらいの歴史がある」と胸を張る。

「蚕病」とは文字通り蚕がかかる病気のことで、その対応は生産性を高めるための最重要課題だった。科博には、ウイルスや細菌、寄生虫などの要因で病気になった蚕の幼虫の模型が残っている。

また、国内外から収集した繭や生糸の標本が、往時の展示ケースに収められている。形や色、大きさも多様な繭が並ぶ。高品質な生糸を効率的に生産するため、掛け合わせて改良した品種もある。

幼虫を育てる蚕棚や繭を作る足掛かりとする「まぶし」のほか、繭から生糸を作る「繰糸(そうし)」や織布に使う道具も多数展示。手作業の時代から、自動化した大型機械まで技術の近代化を追うことができる。世界遺産の富岡製糸場(群馬県)で使われていたものとほぼ同型の自動繰糸機は必見で、ものづくり日本の技術力が感じられる。

大判の植物絵図も

150周年を記念して、壁に掛けて教材として使う大判の絵図である「教育掛図」の展示が5月から始まった。「植物学教授用掛図」(明治35年発行)には、植物の花や実の形態を説明する図や、農産物に被害を及ぼす菌類の顕微鏡拡大図などが、精密に色鮮やかに描かれている。

まさに植物学者の牧野富太郎が活躍した時代、日本の植物学の黎明期に教育を支えた貴重な資料で、学生の学芸員実習に現在も使われている。今後、養蚕に関連した掛図も展示される予定だ。

大正3(1914)年に東京高等蚕糸学校となり、昭和15(1940)年には現在の地に移転した。敷地は現在の小金井キャンパスとほぼ同じで、当時はその半分ほどが桑畑だったという。数十年前に姿を消したが、周年記念事業として、科博前に小さな桑畑が復活した。

学芸員の上田裕尋(ひろちか)特任助教は「蚕を飼育する子供たちに提供するなど、教育活動に生かしていきたい」と話した。

日本の蚕糸業は縮小したが、シルクを使った新材料開発など、新しい産業への期待もある。中沢教授も人工血管などに応用する医療向け材料を開発する研究者だ。過去の産業の栄光を懐かしむだけでなく、未来の可能性も感じる見学だった。(松田麻希)

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