1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

文豪も愛した手賀沼のほとりで夕涼みを楽しむ、水質浄化で水生生物も復活 千葉・北西部 行ってみたい 水のある風景

産経ニュース / 2024年8月19日 10時0分

水辺の遊歩道でジョギングや散歩を楽しむ人たち。水面に視線を移すと、野鳥が羽を休めている。ゆっくりと穏やかな時間が流れる千葉県北西部の手賀沼。今でこそ流域住民の憩いの場所だが、かつては洪水と水質汚濁に悩まされてきた。

江戸時代になると、洪水を防ぐための堤防や排水路の工事とともに、新田開発のための干拓事業が活発化した。だが、近くを流れる利根川の氾濫など度重なる水害で、干拓事業は失敗の連続だった。

現在の干拓地が完成したのは昭和43年。「つ」の字型の広大な沼は、干拓事業で面積が縮小し、現在の「手賀沼」と「下手賀沼」に分かれた経緯がある。

一難去ってまた一難-。海水浴ならぬ「沼水浴」ではしゃぐ子供たちが写真に残っているような手賀沼だったが、戦後の高度経済成長期に差しかかる昭和30年代後半から水質が悪化した。都市化の進展に伴い流域人口は急増し、大量の生活排水が沼に流入したからだ。

国の水質調査で、水質汚濁の程度を示す化学的酸素要求量(COD)の数値が全国で最も悪い「ワースト1」という不名誉な記録は、昭和49年から27年間も続いた。危機感を抱いた県や流域自治体などは下水道整備やヘドロの浚渫(しゅんせつ)も含めた水質浄化対策に追われ、平成13年に「ワースト1」の汚名を返上した。

「水質浄化への取り組みは途上だが、かつてに比べればきれいになってきている」。流域自治体の1つ、我孫子市手賀沼課の村尾圭亮さんはこう強調する。

一時は姿を消した水生生物が復活しつつあるといい、干拓による広大な田畑や豊かな自然は流域の貴重な財産だ。

村尾さんが気に入っている手賀沼の景観は、我孫子市にある「手賀沼親水広場・水の館」の展望室からの眺望だ。沈む太陽から差し込む、燃えるような夕日が手賀沼にかかる「手賀大橋」をくぐり、水面を茜色(あかねいろ)に染める時間帯だ。季節によって、また天候によって水面の表情も変わり、見飽きないという。

実は明治から大正時代にかけても、手賀沼の景観に魅了された多くの文化人が訪れている。例えば、白樺派の志賀直哉、武者小路実篤らが手賀沼のほとりに滞在し、名作を生み出した。

水害、干拓事業、水質浄化…。幾多の苦難を乗り越えてきた先人たち、そしてほとりで過ごした文化人たちに思いをはせながら、「沼辺」で夏の夕涼みに浸るには、遊歩道や公園など絶好のスポットがいくつもある。(岡田浩明)

手賀沼 千葉県の柏市と我孫子市にまたがる手賀沼。面積は6.5平方キロで、東京ディズニーランドの約13倍。水量560万トンは東京ドーム4.5杯分だ。最も深いところは水深4メートル弱だが、平均では1メートルに満たない。先人たちが干拓事業を通じて獲得した農地は稲作にとどまらず、国内トップクラスの収穫量を誇る野菜を生み出しており、柏市の「道の駅しょうなん」などで直売されている。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください