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ダイナミックな遺構に戦乱の痕 菅谷館(後編) 山城ガールむつみ 埼玉のお城出陣のススメ

産経ニュース / 2024年6月21日 14時19分

昭和4年に建てられた畠山重忠公像

菅谷館は都幾川を臨む台地に築かれた城館で、現在は三ノ郭内に嵐山史跡の博物館が建っています。菅谷館はわずか比高約6メートルながら、周囲を湿地に囲まれた要害性の高い城館だったと思われます。また、東側には鎌倉街道上道の都幾川の渡河点、さらに対岸には平安時代の源氏のお家騒動の舞台であり、かつ戦国期までの使用が確認されている大蔵館と、大蔵宿があることから、このエリアが中世において重要だったことがわかります。

戦国時代にタイムスリップ気分

文明18(1486)年、長尾景春の乱など数々の戦乱において武功をあげた扇谷上杉氏の家宰太田道灌が、主人扇谷上杉定正によって暗殺されたことによって、長享の乱が幕を開けます。道灌の子資康をはじめとして、道灌暗殺に反発した親道灌派が扇谷上杉氏から離反、関東管領山内上杉氏を頼りました。そして、ついに両上杉氏が激突。菅谷館の近くで、死者700人とも伝わる「須賀谷原合戦」が起きました。

菅谷館の発掘調査では、15世紀後半から16世紀前半に城館として機能していたことが分かっていて、まさに須賀谷原合戦前後の時代に合致します。須賀谷原合戦後、菅谷館は鉢形城とともに改修整備され、扇谷上杉氏の河越城に対する山内上杉方の重要拠点のひとつになったと考えられます。

菅谷館は遺構が良好に残っており、現地ではダイナミックな堀や土塁を楽しむことができます。堀の幅約17メートル、堀底から土塁最頂部までの高低差約10メートルと、その規模に圧倒されます。また、横矢掛かり、枡形虎口など、技巧的な城の姿も見ることができます。そして、さらに現地で驚くのが各郭の広さです。おもに菅谷館は本郭、二ノ郭、三ノ郭、西ノ郭、南郭で構成されていますが、そのひとつひとつの郭がとにかく広い!山内上杉氏の駐屯地として、どれほどの兵がいたのかと想像するのもまた楽しいです。戦国時代の姿を色濃く残す菅谷館を歩くと、タイムスリップ気分を味わえます。

畠山重忠の伝承も魅力

須賀谷原合戦の5カ月後、今度は高見原(小川町)で戦いが起きます。このように比企地方は15世紀後半から16世紀前半にかけて、享徳の乱、長尾景春の乱、長享の乱といった関東の戦乱の中心地になりますが、菅谷館はまさにこれらの動乱を物語る貴重な城館です。

ちなみに菅谷館は、16世紀中頃以降、両上杉氏の対立構造から、今度は両上杉氏と小田原北条氏の対立構造になると、やがて役目を終えたと考えられています。

また、戦国時代の歴史ロマンのみならず、畠山重忠の伝承があるのも菅谷館の魅力のひとつです。『吾妻鏡』によると、重忠は子重保が謀反の疑いをかけられ、これによって鎌倉で異変が起きたことを知り、元久(1205)年6月19日にわずか134騎で菅谷館を出発。鎌倉に向かったものの、重保は鎌倉で殺され、自身も途中の二俣川で鎌倉方の軍勢と激突し、討ち死にしました。この重忠の菅谷館が戦国時代の菅谷館の前身とも考えられており、現在は二ノ郭の土塁上に畠山重忠公像が建っています。

このように菅谷館は、源平合戦などの華々しい活躍が語り継がれる畠山重忠から、戦国時代の争乱の歴史まで、さまざまなロマンを楽しめる城館なのです。

菅谷館は国指定史跡として整備されているため、駐車場もあり、いつでも気軽に訪れることができます。平城のため、ほとんどアップダウンもありません。それでいて、遺構が良好に残り、見どころ満載。城めぐりをはじめる最初の城館としてうってつけです!

ぜひ、足を運んでみてください。

山城ガールむつみ

歴史&山城ナビゲーター。歴史コンサルタント。歴×トキ(レキトキ)代表、三浦一族研究会副会長、一般社団法人城組副理事、千葉城郭保存活用会副代表、千葉県匝瑳市シティ・アンバサダーなど。

歴史やお城をテーマにしたイベントやツアー、講座を全国各地で多数手がける。県内でも歴史と城を使った町おこし、地域活性化の取り組みや、各地の歴史発信のための御城印発行プロデュースなどを行っている。(https://www.rekitoki.com/)

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