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島めぐる旅を続け、ルーツをたどると、全国各地とのつながり感じる 島を歩く 日本を見る~特別編

産経ニュース / 2024年11月15日 9時20分

古来、「海神の総本社」「龍の都」と称される志賀海神社(小林希さん提供)

以前、とある会社の経営者から、「郷里である周防大島(山口県の屋代島)に貢献したい」と、島々を取材する私に相談があった。彼は長崎県・対馬の浅藻(あざも)で育ったが、生まれたのは周防大島の久賀(くか)という地域だ。

周防大島出身の民俗学者・宮本常一の名著『忘れられた日本人』に、久賀の漁民らが対馬南端の豆酘村(つつむら)に許可を得て、浅藻という集落を開拓した話がある。そう話すと、「子供の頃、宮本先生が浅藻に来て、梶田じいに取材しているのを目の前で見ていた」と、当時を懐かしむように目を細めた。

梶田じいは、明治生まれの梶田富五郎という人物。7歳の時に久賀から対馬行きの船に乗った。宮本が調査で訪れた昭和25年、梶田じいは浅藻開拓者の唯一の生き残りだった。

故郷の島を思い続ける人に出会うたび、うらやましさと一抹の寂しさを感じることがある。父が転勤族の私には、望郷の念すら乏しい。祖父母と父はもういない。ルーツをたどるのも難しいが、唯一、母方の先祖が近江国(滋賀県)にいたらしいと最近、分かった。

それからしばらくして、思いがけない場所で、懐かしい気持ちが胸に広がったことがあった。

「漢委奴国王」と彫られた金印が発見されたことで知られる福岡県の志賀島(しかのしま)を訪れたときのことだ。海岸線沿いをサイクリングし、志賀海(しかうみ)神社を参拝しようと境内に入った。

神社の案内板に、御祭神は海の神、綿津見三神(わたつみさんしん)で、神の子孫(神裔=しんえい)である阿曇族(あづみぞく)によって奉斎されている、とあった。

阿曇族(安曇族とも表記される)は、『古事記』に「綿津見の神の子、宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)の子孫」というような記述があるという。志賀島一帯を本拠地とした古代日本の海人族(あまぞく)で、優れた航海技術と水稲技術を持つ。

大和朝廷から「連」という高い地位を受け、日本列島の各地へ定住の場を広げた。安曇野(長野県)、渥美半島(愛知県)、志賀町(石川県)など、地名に足跡を残している。

もしやと思い、『日本の地名』(谷川健一)を読み、阿曇族の足跡について確認すると、「瀬戸内海を経由して阿波、淡路、播磨、摂津、河内、近江におよび、琵琶湖の西側には安曇川(あどがわ)の地名を残す」とあった。志賀海神社と私のルーツが、つながったような思いになった。

古来、日本人は各地で独自の暮らしを送りながらも、海や山を越え、縁を結び、命をつないできた。だから、どこへ行っても、誰と出会っても、自分のルーツと何らかのつながりがあるのかもしれない。まだまだ島を、日本を歩きたい。各地につながりを求めて。

小林希

こばやし・のぞみ 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は150島を巡った。

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