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独立運動、今度は「入管」の壁 話の肖像画 モラロジー道徳教育財団顧問・金美齢<22>

産経ニュース / 2024年8月23日 10時0分

1972年ごろ

《昭和39(1964)年7月、国民党に仕組まれた「陳純真スパイ事件」により、台湾独立運動の機関誌「台湾青年」の主要メンバー7人が逮捕され、1カ月近く勾留された。「刊行は不可能」とみられるなか、夫の周英明氏と逃亡先で編集作業を続け、独立運動のシンボル「台湾青年」の刊行を死守。しかしその後も苦難は続く》

陳純真事件の後、国民党政府が日本での台湾独立運動を阻止するために仕掛けた相手は入国管理局だった。当時、日本国内で増えていた台湾からの麻薬犯罪者を引き取る代わりに、独立運動家の強制送還に協力してほしいと持ちかけたという。入管だって犯罪者を早く台湾へ送り返したいわけでしょ。

この密約は成立したみたいで、独立運動家1人を強制送還できれば麻薬犯8人を引き取るなんて言われていた。人の命なんか考えていない、卑劣な話だよね。当時の一党独裁の国民党政権下で反体制運動に参加した人が強制送還されれば、組織の実態を自白しろと拷問された上で重刑となったり、二度と帰ってこられなくなったりする。

犯罪者と抱き合わせで政治的な亡命者を送還させるという非人道的なやり方をするのが、一党独裁時代の国民党政府だったのよ。

《独立運動家の日本在留が厳しくなった》

当時、日本の大学を卒業したり、大学院を修了したりして在留の理由がなくなった留学生が日本に残るため、法務省に特別在留許可(特在)を申請するんだけど、この特在が決定するまでは「仮放免」として在留することになる。仮放免は普通、1カ月単位で出されるから、入管には毎月、出頭して更新しなければならないわけ。この出頭が国民党政府の狙いだった。「特在は認められなかった」と日本の入管に言ってもらえばすぐ収容し、強制送還にできる、と。

国民党政府に反対していた呂伝信という人が仮放免の更新で入管に出頭して収容され、台湾に強制送還される前日に収容所内で首をつって自殺するということも起こった。この人は台湾独立建国連盟とは関係なかったけど、連盟のリーダー、黄昭堂は「入管には絶対に1人で行くな。必ず複数で行って、強制収容されたら同行者はすぐに連絡しろ」と厳命していたのよ。

《恐れていたことはやはり起きた。昭和42(1967)年8月、入管を訪れた台湾独立建国連盟のメンバー2人が強制収容されたのだ》

林啓旭と張栄魁の2人。林啓旭は明治大学大学院に行っていたんだけど、博士課程に進んでなかったんじゃないかな。張栄魁とともに国民党政府の標的になっていたんでしょう。強制収容された2人はすぐ、収容所内で抗議のハンストに入った。

その後の台湾独立建国連盟の動きは早かった。黄昭堂は2人に同行したメンバーから事情を知らされると、すぐに品川の収容所前で抗議のハンスト運動を展開し始め、連盟の弁護士は東京地方裁判所に強制送還の停止を訴えた。さらにつてをたどって著名人に声を上げてもらったのよ。

林啓旭の恩師である明大の宮崎繁樹教授も動いてくれ、作家の平林たい子さんや阿川弘之さん、国会議員の水野清さんたちが、「張栄魁・林啓旭両君を守る会」を立ち上げてくれた。私が早稲田大大学院でお世話になっていた、英文学者で演劇評論家の倉橋健さんもかけつけてくれた。

阿川さんは台湾独立建国連盟のブレーン、許世楷のご近所という関係もあって参加してくれた。許世楷はこういうときは誰に頼めばいいかっていうことによく頭の回る人なのよ。

最後は東京地裁が強制送還の執行停止を命じ、林啓旭と張栄魁は釈放された。でも入管をめぐっての国民党政府との闘いは、これで終わりではなかったのよ。(聞き手 大野正利)

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