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伝説の剛速球投手・山口高志氏は見た プロ野球生き残り「4割の壁」を越えた男たちの流儀

産経ニュース / 2024年6月17日 11時0分

関西大学野球部のアドバイザリースタッフとして、後進の育成に力を注ぐ山口高志氏=大阪府吹田市

高校、大学、社会人それぞれのスーパーエリートたちが集うプロ球界。入団しても10年以上在籍できる確率は4割程度とされる厳しい世界だ。頭角を現し、長年活躍する選手にはどんな特性があるのだろうか。通算約30年間、オリックスや阪神などで投手コーチやスカウトを務め、阪神元投手、藤川球児氏(43)らを育てたことでも知られる山口高志氏(74)に聞いてみた。名伯楽が分析する成功の秘訣(ひけつ)とは。

投げ込み3千球 能見篤史氏

山口氏が印象深い選手にまず選んだのが、阪神やオリックスで通算104勝を挙げた元投手、能見篤史氏(45)だ。

「能見のすごさは、練習への取り組み方。与えられたテーマをしっかりこなす。他の選手と同じ基礎練習でも、一つ一つの内容が濃かった」

平成17年ドラフト自由枠で阪神に入団。「巨人キラー」として活躍後、オリックスに移籍し、43歳まで投げ抜いた。プロ生活18年間を支えたのは強靱(きょうじん)な肉体だ。だが、もともと、体が強いタイプではなかった。

大阪ガス時代は故障がちで「クビになりかけた」(山口氏)。しかし、「今年ダメなら」との最後通告に一念発起し、復活した。「そこで、能見の野球人生が変わった」という。

阪神では「継続は力なりを信じ、決してブレなかった」。地道な練習にも手を抜かず、体を強化した。中でも、山口さんが注目したのが春季キャンプでの投げ込み。「約1カ月間のキャンプ期間中、3千球近く投げ込む。それを継続できたからあの年齢まで投げられた」と分析する。

豊富な投げ込みで、制球力も備わった。阪急の黄金時代を支えた山口氏の代名詞「伝説の剛速球」も、「毎日の投げ込み、走り込みで制球力とキレが出た。球と指先の感覚は、投げないと覚えない」と明かす。

能見氏が43歳まで第一線で活躍した裏には、鍛錬の積み重ねがあった。

驚異のメリハリ 山田久志氏

「メリハリのつけ方に驚いた」として、チームメートだった元阪急投手の名を挙げた。下手投げで最多の284勝を挙げた山田久志氏(75)だ。

春季キャンプでは「山田さんは体が仕上がるまで、絶対に外食をしない。街にも出なかった」という。当時、野手には「今日は打撃だけ、今日は守備練習だけ」という選手もいたが、「(野球にかける)山田さんのこだわりは特にすごかった」と振り返る。禁止生活期間は10日ほど。「体が仕上がれば、毎晩、外へ出ていたけどね。お店で酔っ払ってお金をばらまくほど羽目を外していた」と笑う。

メリハリはシーズンでも。登板日前日から、山田氏は、ほぼ話さなくなったという。「雑談もしない。ピリピリ感が周りにも伝わってくる。それほど集中していた」とし、「当時は、精神力の強い人が生き残っていた。そのメリハリが秘訣だったのでは」と振り返る。

いつもポジティブ 福原忍氏

阪神で先発、中継ぎ、抑えとフル回転した元投手、福原忍氏(47)=現阪神2軍投手コーチ=は、いつもポジティブ思考だったという。

平成23年に中継ぎに転向したが、失敗したときも翌日まで引きずらず、すぐに気持ちを切り替えた。山口氏いわく、絶対的守護神だった藤川球児氏もポジティブ思考の持ち主だったが、それ以上だったという。「球児はガーンと落ち込むとき、考え込むときもあれば、ポンと明るくなって、活躍する。でも、福原は波が少なく一定していた」という。

山口氏が阪神コーチ時代に出会った福原氏は、右肩を手術したどん底の時。「それゆえ、余計にポジティブ思考に切り替えたのだと思う」と推察する。「ネガティブにならない選手ほど、長く活躍する」。その言葉通り、後に福原氏は26、27年にセ・リーグ最優秀中継ぎ投手に輝いた。

最後に、3投手に近づくには何が必要なのか。山口氏は「成長段階では、特別な練習はいらない。野球選手の練習をしてほしい。内野も外野も投手もやることで、バランスよく体が作られる」と子供たちにエール。指導者には「選手をとにかく褒める。野球は楽しい、と感じるように。楽しくないと、何事も続けられないから」と語った。

母校・関大で後進育成「個々の長所伸ばす」 山口氏

山口氏は現役時代も含め約40年間過ごしたプロ野球界を離れ、平成28年「第3の野球人生」の場に母校でもある関西大学野球部を選んだ。「選手は育てるのではなく、育つ」を信条に、アドバイザリースタッフとして、後進の育成に力を注ぐ。

野球部には現在、投手だけで約60人が在籍。プロと違い、練習場所は限られる。全国で活躍した選手から、大きな大会での経験のない選手まで一人一人の力量もさまざま。「(全員に)同じ指導はできない」が、それが面白さでもあるという。

個々の力量を把握し、量や強さを要求する。「プロは『商品』でもあるので厳しく言う。学生は褒めて長所を伸ばしたい」。4年間で大きく成長し「毎年、卒業するころになるとあと1年あればと思う」と話す。

今も午前9時から午後6時半までグラウンドに立つ日々。「選手が成長していくのはたまらなく面白い。教えることは生きがい」(田中一毅)

やまぐち・たかし 昭和25年、神戸市生まれ。神港高3年時に春夏の甲子園大会に出場。関大では通算46勝などのリーグ個人記録を樹立。社会人の松下電器を経て昭和50年にドラフト1位で阪急に入団、8年間で50勝43敗44セーブ。引退後、コーチやスカウトを歴任し、阪神では伸び悩んでいた藤川球児投手を指導して才能を開花させた。阪神退団後、平成28年に関大アドバイザリースタッフに就任した。

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