戦争の「世界線」終わりなく繰り返す悲劇、忍び寄る戦前 未来を変える「会話」続けよう 世界線
産経ニュース / 2025年1月6日 8時0分
緋色の炎に沈む摩天楼。銀翼に日の丸を抱いた無数の零戦が上空を旋回する。編隊が描き出す「無限」を意味するメビウスの環が暗示するのは終わりなく繰り返される戦争の悲劇だろうか。
「紐育空爆之図(にゅうようくくうばくのず、戦争画RETURNS)」。現代アートの巨匠、会田誠が平成8(1996)年に発表した、挑発的な作品だ。
描かれた光景は想像力の産物だが、かつて都市が焦土と化した記憶は、多くの日本人の心に刻み込まれている。飛来したのは零戦ではなく、米軍のB29だった。
先の大戦末期の昭和20(1945)年3月10日夜、東京の街は火の海と化した。使用されたのは「M69油脂焼夷弾」。未明の約2時間半で約32万本が投下された。
夜が明けると、焼け焦げた死体が街中にあふれた。この空襲での死者は推計約10万人、被災家屋は約26万8千棟。火の海から逃れようと川に飛び込み、溺死や凍死で命を落とした人もいた。
現代の視点から過去を振り返れば、分岐点が見えてくる。
開戦前夜の16(1941)年夏。政府の「総力戦研究所」に官民から集められた平均年齢33歳の若手エリートが模擬内閣を組み、国力の統計データを積み上げて戦局のシミュレーションを行った。
作家の猪瀬直樹は、模擬内閣が下した結論を次のように描写する。
「十二月中旬、奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、しかし、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、終局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる」(「昭和16年夏の敗戦」)
歴史は、その通りに動いた。日本が戦争に敗れなければ、そもそも日米開戦を回避する道を選ぶことができていれば…。絵画は、ありえたかもしれないもう一つの現実を見る者に問いかける。
× × ×
なぜ、人は「世界線」を考えずにはいられないのか。それは時代状況と無縁ではいられない。
平成7(1995)年。時の首相、村山富市は戦後50年の節目に当たり、日本の「植民地支配と侵略」を公式に認める謝罪を表明した。いわゆる村山談話だ。
その3年後、1冊の本が出版される。漫画家、小林よしのりの「新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論」。自らの主張を「傲慢」と断りつつ、小林は先の大戦を戦った日本に、欧米のアジア侵略に立ち向かったという「大義」があったことを訴えた。
敗戦国という戦後日本の足かせを克服し、もう一つの世界観を示そうという試みだったと捉えるならば、その作品が90万部を超えるベストセラーとなったのは、決して偶然ではない。
日本人論に詳しい駒沢女子大教授の安井裕司(社会学)は「『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と呼ばれたバブル景気に沸いた80年代には起こりえなかった現象だ。日本が強い時代には、誰も『もしも』を考えはしない。最良の時代だから」と語る。
小林の「戦争論」がヒットした90年代末、日本は後に「失われた30年」と呼ばれる停滞の時代に突入していた。「強い自画像が求められるようになった。国家やそれを構成する社会(コミュニティ)が弱くなった証拠でもある」(安井)
× × ×
中東では空爆が繰り返され、ロシアのウクライナ侵攻は終わりがみえない。日本でも中国や北朝鮮、ロシアに対する脅威論が高まっている。
戦争という悲劇が生む痛みと悲しみは、メビウスの環のように終わりなき「if」を要求する。人間の想像力はたやすく世界線を描けるが、たった一つの世界を生きていくしかない。
そのとき、道しるべとなるのは「言葉」だ。
20世紀の英国で活躍した保守主義の政治哲学者、マイケル・オークショットは、時間と場所、参加者を変えながら営々と続いていく「会話」という概念を唱えた。
「会話」をするのは、互いを何も知らない匿名の集団ではない。それぞれ名前があり、異なった考え方を持った人々だ。
「会話と、相手を論駁(ろんばく)する議論は違う」。オークショットの思索に触れた大阪大招聘准教授で言語哲学者の朱喜哲は、会話を打ち切るような話法や言動があふれている現状に危機感を抱く。
「自分と考えが違う人がいるという本当に当たり前のことを今一度、考えてみたい。互いを認め合いながら会話を続けていくことで、社会は保守されていくのではないか。遠回りかもしれないが、そこに希望を見いだしたい」
「戦前元年」とも言える不穏さが漂う戦後80年の今年。過去から学び、未来に向けた世界線の輪郭を描くための「会話」を、私たちは続けなくてはならない。
=敬称略(この連載は玉崎栄次、堀川玲、塚脇亮太、宮崎秀太が担当しました)
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