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元日に吹っ飛んだ夫婦の旅 話の肖像画 報道カメラマン・宮嶋茂樹<1>

産経ニュース / 2024年7月1日 10時0分

能登半島地震発生時、宮嶋茂樹さんは妻と四国を旅行中だった=東京・大手町(芹沢伸生撮影)

«戦場にも被災地にも事件事故現場にも、いち早く駆けつけ、臨場感あふれる写真とリポートを発信する「不肖・宮嶋」の1年は、衝撃的な幕開けとなった。元日の午後4時10分に発生した能登半島地震だ»

地震の一報が流れたとき、妻と道後温泉(松山市)にいました。夫婦で初めての四国旅行で、年末から滞在していた兵庫県明石市にある私の実家から車で約4時間かけて到着。何とか宿泊先を確保したとき、車載テレビから緊急地震速報が飛び込んできたのです。

その後は「強い揺れに警戒してください」「津波警報です。すぐに逃げてください」の連呼です。すぐに「何かあったら明石海峡大橋や瀬戸大橋が通行止めになって本州に帰れなくなるぞ」と判断しました。妻に「現場に行く」と告げると、「あなたはいつもそうだ。楽しみを直前で取り上げる」と。まさにその通りで申し訳なかった。それでも納得してくれ、また4時間かけて実家まで戻りました。

道後温泉までは亡くなった母が生前、介護施設に入った際に買って、実家に置いてあるファミリーカーで行きました。実家から直接、被災地入りするため、現地にはその車で向かうしかありません。正月だったからかガソリンスタンドは閉まっていて燃料が調達できず、出発は翌2日です。午前8時にスタンドが開くのを待って満タンにし、さらにガソリン携行缶にも燃料を入れました。29年前の阪神淡路大震災の経験から、携行缶は用意しています。金沢到着は午後3時、石川県輪島市に着いたころは真っ暗で、夜8時ぐらいだったかな。

«陸路は限られていたうえ、地割れも激しく、現場入りはトラブルの連続だった»

輪島市など被害が大きかった石川県北部に向かうまでは、暗くなってからが怖かったですね。そうしたら道路の亀裂に一瞬はまってしまってタイヤがパンク…。余震が続く中、暗闇で何とかタイヤ交換したものの、スペアタイヤは小さくて頼りない。それで翌日、かほく市まで引き返してカー用品店で新しいタイヤを買いました。やっと輪島市に戻ったら、また亀裂にはまってパンク。心が折れましたね。気を取り直してスペアタイヤに替えて取材し、その後、再びかほく市まで戻りました。

地割れした道路って本当に怖くて、亀裂で「ガツン」ってなるとタイヤの横がすぐ裂けるんです。2回目はホイールもやられました。「この先もあるぞ」と、カー用品店ではホイールとタイヤを2本調達したのですが、同じお店だったので「またですか?」って驚かれました。

«被災地はかつて訪れた場所も多く、目の当たりにした現場の衝撃は大きかった»

輪島市には平成15年に能登空港が開港したとき、「週刊文春」の取材などで何度も訪れていました。それだけに観光名所の「朝市通り」近辺の火災はショックでした。火災現場には4日に入ったのですが、まだ煙が出ていて、阪神淡路大震災で焼け野原になった神戸市長田区を思い出しました。永井豪記念館とか輪島塗の老舗とか、変わり果てた街並みを目の前にしたときは言葉が出ませんでした。

能登半島地震の被災地は、これまでの震災と比べると土砂崩れと地割れがひどいという印象です。4月までに3回行きましたが、復旧はまったく進んでなくて、これまでの教訓が生かされていないと感じています。ゆかりが深い能登半島を今後も注意深く見守っていきたいと思っています。(聞き手 芹沢伸生)

宮嶋茂樹

みやじま・しげき 昭和36年5月、兵庫県明石市生まれ。日大芸術学部写真学科卒業後、写真週刊誌「フライデー」の専属となり、62年からフリーカメラマン。平成8年、東京拘置所収監中の麻原彰晃被告(当時)のスクープ写真で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」受賞。「儂は舞い降りた アフガン従軍記」「ウクライナ戦記 不肖・宮嶋最後の戦場」など著書や写真集多数。

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