大谷翔平選手の投稿で話題 岩手県の南部鉄瓶 80以上の工程を経る一生ものの実用品 くらしと工芸
産経ニュース / 2024年7月12日 8時0分
一挙手一投足が話題を呼ぶ米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手。5月、自身のインスタグラムに投稿した紺碧色の鉄瓶が、チームカラーの「ドジャーブルー」だと注目を集めた。それは大谷選手の故郷、岩手県の伝統工芸品「南部鉄器」。一大産地の同県奥州市水沢地区では、異業種から飛び込んだ若手女性職人が奮闘している。
大谷選手の鉄瓶は、同地区で江戸末期から続く老舗工房「及富」のもので、名は「みやび」。8代目の長男、菊地海人さん(40)は、その反響を「うれしいというより、ただただ驚いた」と振り返る。電話が鳴りやまず、わずかにあった在庫はものの数分で完売。しかし深夜までメールで注文が殺到し、「何度も受注停止を考えた」という。
鉄瓶の制作には、多大な手間がかかる。普段なら数年待ちになる注文数だったが、菊地さんは「南部鉄瓶だと分かるようタグや箱まで撮影してくれた大谷さんの気持ちに応えたい」と、何とか1年待ちで納品できる体制を整えた。
量産できる「生型」と一点ものの「焼型」
南部鉄瓶の製法には、普及品向けの「生型(なまがた)」と、職人が1点ずつ手作業で作り上げる「焼型(やきがた)」がある。大谷選手が所有する「みやび」は「生型」で作られた普及品で、2万4200円と値頃に手に入る。
かたや「生型」よりも高価格になる「焼型」の鉄瓶は一点もの。職人が鉄瓶のデザインを起こし、器の原型となる鋳型を砂と粘土で手作りし、まず鋳型自体を焼き上げる。次におよそ1500度に熱した鉄を鋳型に流し込んで成型。鋳型から外した鉄瓶を、さび防止のため炭火で焼き、やすりで磨き、漆で着色してようやく完成する。1人の職人で80以上の全工程を仕上げる工房は多いという。
産地で奮闘する若手女性職人
水沢地区に工房を構える南部鉄瓶職人、佐々木奈美さん(40)は、外からこの世界に飛び込んだ。大学を出て美術館に勤めていたとき、故郷の奥州市が職人の後継者を募集していると知り、「これを逃したら、ものづくりに携わるチャンスは二度とない」と転身を決意した。
ドロドロに溶けた高温の鉄を扱い、猛烈な暑さの中で危険も伴う。制作は体力勝負で、女性にはきつい。それでも佐々木さんは「手がかかる分、作ったときの喜びが大きくて。がむしゃらに鉄に触れていました」とのめり込んだ。
鉄器といえば質実剛健でごつごつとしたイメージがあるが、佐々木さんの鉄瓶は優美な弧を描き、やわらかささえ感じられる。表面には野の花や伝統的な幾何学模様が繊細にかたどられていて、鉄でできているとは思えないほど。「散歩中にあぜ道に咲く小さな花に感性を刺激されデザインに取り入れることもあります」
現代のくらしに違和感なくなじむものを
常に考えているのは、デザインと使いやすさのバランス。IHコンロでも使えるよう、底は少し厚めに。使いやすさに響く注ぎ口は、湯流れがよく緩やかなラインを描いて。そして、女性にも扱いやすいように、重すぎず大きすぎず。「実用品なので使い勝手はよくしたうえで、生活にさりげなく入り込み、邪魔せず、現代の暮らしにも違和感なくなじむものを作りたい」と試行錯誤を重ねる。
南部鉄器は昔からある生活の道具でありながら、今の時代も日常的に使うことができ、何代にもわたって受け継ぐことができる。まさに一生ものの実用品だ。
「そこにあるだけでちょっと気分が良くなり、お湯を沸かすたびに豊かな時間を感じてもらえればうれしい」と佐々木さん。膨大な手間をかけて作り上げられた鈍(にび)色の鉄瓶には、職人の魂が宿っている。(田中万紀)
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