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「子供は必ずかかる」定説変えた水ぼうそうワクチン 3歳息子の重症化と根性の開発物語

産経ニュース / 2024年11月15日 7時0分

臨床試験の一環として、大阪大の近くに当時完成したばかりの千里ニュータウン(大阪府吹田市)の子供たちに水痘ワクチンを打つ高橋理明氏(BIKEN財団提供)

「子供は必ずかかる」。そんな風に考えられていた水痘(水ぼうそう)患者は今、ワクチンによって確実に減少している。ワクチン開発の立役者となったのは、元大阪大名誉教授の高橋理明(みちあき)氏。水痘ワクチンの定期接種化を見ることなく、平成25年に85歳で亡くなったが、子供たちのために研究に打ち込んできた姿を見てきた周囲は、その功績をたたえる。

「高橋先生はワクチンの開発に研究者生命をかけていたと思う」。高橋さんと40年来の師弟関係にあった山西弘一さん(83)はそう振り返る。

昭和29年に大阪大医学部を卒業後、大阪大学微生物病研究所に入った高橋さん。当初は、国内初のはしかワクチンを開発した奥野良臣(よしおみ)博士の下で感染症の研究に取り組んだ。

米国に留学中の39年、当時3歳の息子が水ぼうそうにかかって重症化。多くの幼児が罹患(りかん)する水痘は、合併症などで死に至ることがあるにもかかわらず、感染を予防する手立てはなかった。高橋さんは帰国後の45年ごろ、ワクチン開発に乗り出した。

当時、大学院生だった山西さんも研究に加わった。誰もが昼夜を分かたず研究に明け暮れるような時代だったが、高橋さんらも例外ではなかった。

「高橋先生が一番苦労していた」(山西さん)というのが、人間の細胞からウイルスを生きたまま分離すること。ワクチン開発には、分離したウイルスを人間以外の細胞に感染させて弱毒化させる必要があるが、水痘ウイルスの場合、その特性から困難を極めた。

試行錯誤の末、モルモットの細胞を使うことで弱毒化に成功。弱毒化されたウイルスは分離元の感染者の名前を取って「岡株」と名付けられた。現在、世界中で利用される水痘ワクチンは全て岡株に由来する。

日本国内での臨床試験などを経て完成したワクチンは先に欧米で認可され、国内では昭和61年に1歳以上への接種が認められた。「先生はこの上ない喜びとともに安堵(あんど)も感じたのでは」と山西さんは推し量る。

大学発ベンチャーの先駆け的な存在で、ワクチン製造などを手がける「一般財団法人 阪大微生物病研究会(BIKEN財団)」の理事長を務めた山西さん。同会の理事だった高橋さんは気が置けない友人でもあった。研究の息抜きに一緒に映画を見に行ったり、山に登ったりしたといい、「頑張り屋さんやったけど普通の人」と振り返る。

高橋さんの死後、ワクチン接種は定期化され、多くの子供を救った。山西さんは「高橋先生は努力し続けられる根性があった。だからこそ運にも恵まれて開発につながった」と恩師の功績をたたえた。(小川恵理子)

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