1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

震災対応で世界への感謝足りなかった 話の肖像画 元駐米日本大使・藤崎一郎<9>

産経ニュース / 2024年9月10日 10時0分

東日本大震災後、ワシントンの日本大使館大使室で館員と会議に臨む=2011年3月(本人提供)

《2011年3月11日、駐米大使在任中に東日本大震災が起きた》

私はすべての予定をキャンセルし、この問題にかかり切ることにした。情報交換や支援要請の正式なチャンネルは東京だった。しかし米政府の意思決定者はワシントンにいる。国務省を中心に、ホワイトハウス、国防総省、エネルギー省などと毎日何度も連絡をとった。国務省は何週間も泊まり込みのチームを編成した。ホワイトハウスの科学顧問は全米トップの原子力科学者と電話会談網をつくり、毎日大統領に報告するとともに日本に情報提供してくれた。

東京は混乱しており十分な情報が来なかった。在米日本大使館はいわばミニ霞が関で、各省庁からトップクラスの人材が派遣されており、彼らが東京から情報を収集し、大使室で連日、各省庁から出向している公使、参事官、書記官約20人以上と何度も打ち合わせをした。そしてオールジャパンの情報を持って米側と話し合い、その結果を待っていた皆に説明した。

さらに米国のテレビには連日生出演し、状況を説明した。このためにもミニ霞が関のチームが役立った。CNNのニュースショーに呼ばれた際、原発のメルトダウンの可能性について追及され、「いろいろ噂はあるが、確認できる情報には接していないので私からは話さない」と回答する場面もあった。

《自衛隊ヘリの原発への放水で米国が本腰を入れることになったと言われるがどうか》

私個人としては自衛隊員の勇気には感じ入っている。しかし言われるような話を米側から聞いたことはない。「日本自身が決めることだが、なぜ政府、自衛隊はもっと前面に出ないのだろうか」という感じを、多くの米国関係者はずっと持っていたように思う。これを乗り越えて米軍と自衛隊の関係はいっそう緊密化した。

米国民は大統領から議員、政府、軍、企業、学校、一般の方まで幅広く日本に寄り添おうと物心の多大な支援をしてくれた。小学生が誕生日のお祝いにもらった20ドルを持ってきてくれたりして感激した。

トモダチ作戦を現場で指揮した米司令官や兵士、米大使に日本国民の感謝が集中する。それはいいが、ワシントンで指示したオバマ大統領以下、米政府や米国民への感謝が足りない。これは私自身がもっと声高に主張すべきだった。じくじたるものがある。米国だけでない。あのとき世界中が日本を助けてくれた。日本はもっと謝意を表すべきだったと思う。

《震災では、外国人も犠牲になった。宮城県石巻市で子供たちに英語を教えていた若い米国人女性教師、テイラー・アンダーソンさんもその一人だ》

テイラーさんは、津波のため亡くなった。小さいとき、アニメ「となりのトトロ」を見てひかれた日本で英語を教えて、両国民をつなぎたいという夢をかなえて滞日中の出来事だった。「やってみて。きっと好きになるわよ」。いつも笑顔で生徒たちを励まし人気があった。

娘を失ったアンダーソン夫妻は、両親が代わって夢を受け継ぐのが娘の願いだと考えた。寄付を募り、娘の名を冠した基金をつくった。石巻の子供たちを短期間米国に呼んだり、日本での英語キャンプに行かせたりした。20以上の石巻の小中学校に娘が子供のころ好きだった本をテイラー文庫として贈っている。石巻の木工作家、遠藤伸一さんは、テイラーさんの教え子だった子供3人を失った。テイラー文庫の書架づくりが生きる励ましになったという。

テイラーさんのドキュメンタリー映画『夢を生きる』(https://tamf2.jp/movie/)も制作された。アンダーソン夫妻は一緒に基金をやっている高成田享・元朝日新聞石巻支局長やわれわれ夫婦にとって心の友となっている。(聞き手 内藤泰朗)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください