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三冠王・落合にも負けぬ 「世界で2人」の勲章 代打告げる監督のベルトをつかんで止める 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲<25> 

産経ニュース / 2024年12月26日 10時0分

昭和55年、ロッテ時代

《イチローさんとともに〝認めた〟落合博満さん(ロッテなど)は張本さんが発掘?!》

イチローが左打者として一番なら、右打者のナンバーワンは落合ですね。私がロッテに移籍した昭和55年でした。高畠導宏という打撃コーチがいました。「張さん、2軍にものすごいいい右バッターがいる」と言われて見に行ったら、これがいいんですよ。そのときは山内(一弘)さんが監督です。山内さんは私の8歳上で、〝おじさん〟と呼ばせてもらって現役時代からよくバッティングの話をしていました。「おじさん、何で落合を上(1軍)で使わないの?」って言うと、「あかん、あかん。近めの速い球にあんなふうに手を伸ばしたら打てへん」って。だから言ったんです。

「おじさん、近めの速い球を誰が打てた? あんたも私も王(貞治)も長嶋(茂雄)も、誰も打てなかったでしょ。自分のスイングをしてファウルで逃げて、次の甘い球を打ったんじゃない。あんないいバッター、下に置いておくのもったいないよ」ってね。山内さんは野球に対してものすごく純粋な人です。「そやな、上げようか」で1軍に上がった。

ある日の日本ハム戦でした。先発の左投手が間柴茂有(しげくに)、木田勇、高橋一三、村上雅則とね。最初は代打でしか使わない。やっと先発で使ったけど、2打数ノーヒット。2死一、三塁でした。山内さんは内容が悪いと思ったのか、代打を出そうとしたんです。そこで近くにいた高畠が「もう一回」と手を合わせる。私はDHだった。山内さんがベンチを出るとき、「おじさん、もう一回、もう一回」とベルトをつかんで止めたんです。そうしたらパーンとホームランですよ。それから使い出したんです。翌56年には首位打者(3割2分6厘)になり、翌々57年には三冠王ですよ(3割2分5厘、32本塁打、99打点)。人間どこで運を得るかわからない。人と人のつながりでね。

ちょっと前、落合にこの話をしたら、知らなかった。「高畠にお礼を言うべきだ」と言いましたよ。高畠は川崎球場近くのホテルに泊まってすごく熱心に指導していた(※高畠さんはロッテでは西村徳文、水上善雄ら、ダイエー=現ソフトバンク=で小久保裕紀らを育てた)。落合の恩師は高畠なんです。

《〝世界で2人〟の勲章…》

落合は三冠王を取っている。それも3度も。打者として三冠王はすごい記録だからね。私にも自慢できることがひとつあります。「生涯通算打率3割(3割1分9厘)、300盗塁(319個)、500本塁打(504本)」を超えてるのは世界に2人しかいない。大リーグのサンフランシスコ・ジャイアンツのウィリー・メイズと私だけなんです(※メイズは生涯通算3割1厘、通算3293安打、339盗塁、660本塁打)。

憧れましてね。あんな選手になりたいと思った。なれませんけどね(笑)。大リーグでもベーブ・ルース、タイ・カッブ、テッド・ウイリアムスら大選手はいたけど、攻走守そろって隙のない選手はいまだいないな。私がプロ2年目(35年)のとき、日米野球で来日した。ある試合で私は二塁打を打って、次に打者が大きなセンターフライを打った。私の足では簡単に三塁へ行ける飛球でした。で、タッチアップしたら1歩、2歩出たところで、すごい返球ですよ。慌てて戻って間一髪セーフです。思わず「エッ?」って(メイズの方を)振り向きましたよ。

翌日、練習中に同じところから投げたんです。若いころは肩にも自信はあったし、昔はピッチャーをやっていたからね。でもいくら投げても届かんのやから。ワーッ、すげえって。山なりなら何とかなったが、低く速い送球だと届かん。やっとワンバウンドかな。すごい選手だと再認識しましたよ。メイズと〝世界に2人〟だけ。「これだけはね、自分をほめること、いつも自慢できるぞ」って、落合に言ったら笑ってましたけどね(笑)。(聞き手 清水満)

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